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復讐は甘美な罠 34


朝から舞っていた雪は、午後になると本格的に降り始めた。
レイチェルが迎えに来たグラントと共に屋敷を出るころには、道路端には十数センチの積雪ができ、部分的に凍り始めていた。
昨夜の言い争いなど億尾にも出さず、グラントはいつものようにレイチェルをエスコートする。
コートを掛けられたときに、微かに項に触れられると、身体が緊張に震えた。

「そのドレスもよく似合っているよ」
レイチェルは、以前グラントが選んだもののうちの一枚を今日の装いにした。降り積もる雪と同じ、真っ白なドレスだ。
それまでは、ウエディングドレスでさえ純白ではなかったのに、今更白いドレスを着ることを躊躇っていた彼女だが、なぜか今夜はこのドレスを着ようと思った。
勝負服、というわけではないが、どういう結論が出ても取り乱すことなく、この白いシルクのように気高く凛として、すべてを受け止めようという密かな決意の表れだった。



玄関を出ると、車回しにはいつものリムジンではなく、彼のメルセデスが停まっていた。運転手はおらず、今日は彼がハンドルを握るつもりのようだ。
「あまり大雪にならなければいいけど…」
助手席を開けられ、乗り込んだレイチェルは、風に舞う白いものを見ながら独り言のように呟いた。
車の前を横切って運転席に座ったグラントが、肩についた雪を払いながらフロントガラスの上側を見上げる。
「帰りまでこの状態ならマンションに泊まろう。ここまで帰る道の除雪が間にあわないかもしれない」


屋敷の私道や幹線道路はまだ緩い積雪だったが、途中で乗った州間高速道路は、夜に入ってからの冷え込みで、タイヤに圧雪された路面はアイスバーンのように凍っていた。そのせいか、所々の路側帯で動けなくなった車が立ち往生している。
そんな状況でもグラントは臆することなく、かなりのスピードで車を走らせ続けていた。

車内はエアコンで温められた湿気が蒸せるように暖かく、雪にタイヤを取られるたびに僅かだが横揺れを繰り返す。
そんな状態で窓に流れる無数のライトを見ているうちに、車酔いしたレイチェルは軽い頭痛と吐き気をもよおし始めた。
「グ、グラント、お願いどこかに停まって」
口元を手で押さえて蒼白になったレイチェルを見たグラントが、眉を顰める。
「少し先に広い路側帯がある。そこで少し休もう」


グラントが空いたスペースを見つけ、スピードを緩める。
その途端、目の前に強烈な光の流れが押し寄せてきた。咄嗟に手を翳して遮るが、眩しいライトはどんどん大きくなり、ものすごいスピードでこちらに近づいてくるのが分かった。
光源は大型の車両。
凍った路面でスリップしたのか反対車線に飛び出し、そのまま真っ直ぐこちらに向かって突っ込んで来る。

「グラント、ぶつかる…」
「レイチェル、掴まれ!」
レイチェルが言い終わらないうちにグラントが怒鳴った。直後に強い衝撃に襲われ、シートベルトが身体に食い込む。
レイチェルは咄嗟に身体を丸め、その上にグラントが覆いかぶさってきた。
さらに数秒後、何かにぶつかったような振動がして、轟音が辺りに響いたのを聞いたところで記憶が途絶えた。
その時既に、凍った道路の上でタンクローリーに突っ込まれたメルセデスは二人を乗せたまま大破していた。



「あ、うっ」
気がついた時、レイチェルは押しつぶされた車のシートとダッシュボードの間の狭い空間に入り込んでいた。フロント部分は滅茶苦茶に壊れ、天井が吹き飛び、突っ込んできた車と思しき鉄の塊りが目の前まで減り込んでいる。
「グ、ラント?」
彼女の上に圧し掛かるようにうつ伏したグラントは、ぴくりとも動かなかった。
隙間に這い蹲り、何とか車内から脱出したレイチェルは、急いでグラントも車から助け出そうとした。だが、ただでさえ大きな彼の体は車体とシートの間に挟まれていて簡単には動かない。
すぐに駆けつけてくれた後続車に乗っていた人たちの力も借りて、傾いて歪んだシートを後ろに押し戻すと、レイチェルは自分を梃にして、車体に減り込んだグラントの体を何とか外に引きずり出した。
「グラント、グラント?」
負傷している頭部を揺さぶらないように気をつけながら、何度か軽く頬を叩く。
彼は血の気のない顔で一度目を開けたが、すぐにまた意識をなくしたようだった。
見れば左腕がかなりひどい怪我で、引き裂かれた袖口からは大量の血が流れ出している。

すぐに止血をしなければ。
レイチェルは周りを見回したが、傷口を押さえるタオルはおろか、溢れる血を拭うものさえ見当たらない。
あるのは自分が着ている破れたドレスくらいなものだ。彼女は迷わずドレスの裾を引き裂くと、怪我の箇所を拭った。
白い布がたちまちに鮮血に赤く染まる。
目にした外傷はかなりひどく、圧迫しても出血は止まりそうにない。動脈を押さえて血流を止めれば出血は減るが、腕が壊死する危険性があった。だが、その前に出血多量で命を落としては元も子もない。
厳しい選択だった。


「ああ、グラント、死なないで…」
レイチェルは再びドレスを裂くと、動脈のあるあたりをきつく縛り上げる。一時的に出血は弱まったがグラントの顔色はますます青ざめていくのがわかる。

事故を見て、集まってきた人々が口々に何かを言っているが、今のレイチェルにそれを聞き取る余裕さえ無かった。
誰かがどこからか毛布を調達してくれたらしく、彼女とグラントに掛けられたが、それでも風が舞う道路はどんどん体温を奪っていった。
指先が凍え、痺れるほど冷たい。
グラントの唇も紫色に変わっていた。

すでに事故発生からかなりの時間が経過していた。
雪で視界が悪く、緊急車両の到着が遅れているのだ。

「救急車は…救急車はまだなの?」
レイチェルの悲痛な問いかけに答えられる者は誰もいない。
グラントの体が出血性のショックと体温の低下で痙攣を始める。
「お願い、早く救急車を」
その時、ようやく遠く微かにサイレンの音が聞こえた。




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