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復讐は甘美な罠 30


前日からの雪で、イブは文字通りの「ホワイトクリスマス」となった。
屋敷の広大な庭園も一面銀世界となり、樹木に施したイルミネーションを幻想的に映し出している。


一方、屋敷の中では、ここでは数年ぶりというクリスマス・パーティーが催されていた。
グエンドリンの体調を考慮して、家族の他には極限られた友人が数名、それに執事を始めとする何だかの事情でクリスマス休暇中に帰省しなかった使用人も加え、小ぢんまりとした内輪のお祝いとなった。


その日、グエンドリンもレイチェルたちの手を借りて、久しぶりにベッドから起きだしていた。
メイドに髪を結い上げてもらい、薄く化粧を施した顔は、やつれてはいるものの、明るい表情を浮かべている。
グエンは、今日のパーティーために高価なベルベットのドレスを仕立てていた。
病に倒れて以来、衰えた体は服のサイズが2つ3つ小さくなってしまい、どれも身に合わなくなっていたからだ。
それでもシックなドレスに身を包み、車椅子の上で背筋をピンと伸ばして座るグエンの姿は女王然としていて、ハミルトン家の女主人の風格は未だ損なわれてはいなかった。



夕方、レイチェルは自室で自分の仕度に追われていた。
今夜は、少し前にグラントからプレゼントされたシルクのドレスを着ることに決めていた。色はレイチェルの瞳と同じ深い緑色で、ドレスに合わせたデザインの、エメラルドとダイヤモンドがコンビになったチョーカーとピアスも贈られていた。

ドレスに着替え、ファスナーを上げようと鏡に背中を向けた時、グラントがこちらに近づいてくるのが目に入った。
すでにタキシードに着替えた彼はうっとりするほど素敵だ。いつものスーツ姿も隙がないが、こういったゴージャスな衣装を身につけても不思議なほど様になっている。

グラントは、さりげなくレイチェルの後ろに回ると、彼女の指からファスナーのつまみを引き取り、ゆっくりと引き上げた。
「君の肌は本当に白いな。まるで雪のようだ」
項に唇を這わせると、レイチェルが彼の胸に背中を預けてくる。
「でも、これで得をしたことは一度もないわよ。日に焼いても赤くなるばかりで、ちっとも健康的な肌色にはならないんだから」
肩の窪みまで達すると、彼は名残惜しそうに、わざと音を立てて唇を離した。
「このくらいにしておかなくては、見えてしまうだろうな」

肩に申し訳程度の細いストラップがついているだけのドレスは、ベアトップのようなデザインになっていて、首から背中の上辺りまでは剥き出しで、覆うものが何もない。
それでなくとも昨夜は、ドレスから見える場所を彼の唇から守るだけでも大変だったのだ。それでもぎりぎり布地に隠れる胸の辺りには、幾つか痕をつけられてしまった。

「誰かに見られたら何て言われるか」
レイチェルが諦めとも嘆きともつかぬ溜息を漏らす。
「多分『ああ、新婚なんだな』と思われるだけだ」
彼は悪びれる様子もなく平然とそう言い切ると、大振りだが厚みのない箱をレイチェルに手渡した。

「グラント、これは?」
「君の今夜の衣装だ。」
受け取った箱を見ながら、レイチェルが困惑した顔をする。
「でも、前からパーティーにはこのドレスを着ようと決めていたの。それに、こんなにいろいろともらってばかりだと申し訳なくて」
躊躇するレイチェルに、グラントが含みのある笑みを見せる。
「いいから、開けてみなさい」

包みの中から出てきたのは青色のナイトガウンだった。
肌触りが良く、生地やレースは上等なものなのだろうが、持っている手が透けて見えるほどに薄い。これではとても寝巻きの用をなすとは思えない代物だった。
もちろん、グラントはそれを承知の上でレイチェルに贈ったのだ。その証拠に、彼女を見つめるグラントの目が欲望を湛えている。
それを見たレイチェルもまた、身体の中に熱が溜まってくるのを感じてしまう。

「今夜はベッドでそれを着てくれ。私の『お気に入り』だ」



パーティーは、自由に動き回れるようにと立食形式にしてあった。
使用人たちに負担を掛けないように、料理はケータリング業者に依頼したが、ケーキだけは前日にレイチェルが手作りしたものを振舞った。
皆、思い思いに場所を移し、談笑しながら料理を摘んでいる。
普段はほとんど甘いものを食べないグラントが、アレックスと一緒になってケーキを口に運ぶ姿を見たレイチェルは思わず微笑んだ。
夫がいて、子供がいて、そして親しい人たちに囲まれて祝う温かなクリスマス。
長い間彼女が夢に見ていた光景がそこにはあった。


暫くするとグエンの合図で音楽が流れ始める。
レイチェルはグラントに手を預けフロアに出て行くと、何とか様になってきたダンスを披露することになった。
リードするグラントとの関係の変化を表すように、以前練習した時よりも滑らかな動きで踊るレイチェル。
何度も見つめ合い、笑みを交わす二人の姿を一番嬉しそうに見ていたのは、他ならぬグエンドリンであったことは言うまでもなかった。



日付が変わる頃、グエンの体調も考えて、パーティーはお開きとなった。
玄関で客人を見送ると、後片付けは使用人たちに任せ、レイチェルは眠ってしまったアレックスを抱いて子供部屋へと向かった。


あの日以来、レイチェルが夫婦の寝室に移ったため、空いた子供部屋の隣室は住み込みのシッターとなったリンが使っている。ただ、今日は彼女も実家に帰省していて、部屋には誰もいなかった。
そっとアレックスをベッドに入れると毛布で包み、ぬいぐるみを抱かせる。
ここに来たときにはまだ歩くことも出来なかったアレックスだが、今ではベビーベッドが小さく窮屈に見え始めていた。

「来年もここで、こうしてみんなでクリスマスを過ごしているといいわね」
レイチェルは、黒く柔らかな髪を撫でながら、まるでひとり言のように呟いた。

グラントとの関係は表面的には安定しているように見えるものの、どうしても心の隅にある不安が拭い去れなかった。彼にとって自分はいったいどいう存在なのかが、未だに分からないのだ。
だが、こればかりは彼が自分から心を開いてくれないうちは、彼女の力だけではどうすることもできないことだ。

レイチェルは、常夜灯を残して部屋の電気を落すと、ベビーモニターのスイッチを入れてベッドの側から立ち上がった。
そして、アレックスの額に小さくキスを落す。

「メリークリスマス、アレックス。楽しい夢を見るのよ」



一方グエンドリンの世話を託されたグラントは、車椅子を押して廊下を進んでいた。
上から見下ろす祖母は、ここ数日で一段と痩せて小さくなったような気がした。
こんなことをするのもこれが最後になるかもしれない。
そう思いながら、グラントは寂莫たる感傷に浸っていた。

祖母とは、決して親しくしてきた間柄ではなかった。幼少時にグエンに引き取られたジェフリーは祖母に懐いていたが、グラントとは年に数回会えればよい方だった。
特に父親から事業を継いだここ数年は、忙しくて顔を合わせる機会すらなかったくらいだ。
それでも、今となってはグラントにとって、グエンは残り少ない家族の一人だった。


祖母を抱き上げて車椅子からベッドに移すと、着替えを手伝おうと控えていたメイドに場所を譲る。後を任せて部屋を出ようとした彼をグエンドリンが呼び止めた。
「グラント」
振り返ると、グエンが彼を手招きしていた。
「何ですか?」
ドアから引き返して来てベッドの側に立つグラントを、グエンが見上げている。
「これからもレイチェルとアレックスのことを守ってあげてね」
グエンはそう言うと、痩せて筋張った手でグラントの手を握り締めた。
「レイチェルは、私が最後に見つけた貴方への贈り物です。大切にするのですよ」
どう答えてよいか分からず、ただ頷くグラントに、グエンが微笑みかける。

「メリークリスマス、あなたたち夫婦に幸運が訪れますように」



その夜、レイチェルはグラントから贈られた青いナイトガウンを身に纏った。
あまりの透け具合に思わず身を縮めたレイチェルだったが、光沢のある青い色はレイチェルの白い肌に良く映えた。
「思ったとおりだ、良く似合っている」
だが、グラントがその姿を堪能したのはわずか数分のこと。すぐにガウンは床に落とされ、その存在を忘れられたのだった。



グエンドリンの容態が急変したのはそれから僅か2日後のことだった。
こん睡状態に陥ったまま一度も目覚めることはなく、一週間後、新年の訪れを待っていたかのように静かに息を引き取った。
その日もクリスマスと同じように、深々と雪が降り積もる、寒い朝だった。




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