「ミズ・ローガン、いるのは分かっているんだ。早くここを開けたまえ」 レイチェルは、ドアを乱暴に叩く音で我に返った。 開けたまえですって? 彼女はカッとして言い返した。 「開けてくださいませんか、の間違いではありませんか?どちら様かは存じませんが、うちにはそんな礼儀知らずなお客様はおりません。お引取りください」 「ハミルトンだ」 「どちらのハミルトン様でしょうか?私にはそんな知り合いはいませんけれど」 ドアの外で低く悪態をつく声が聞こえてくる。 「グラント・ハミルトンだ。すぐにドアを開けたまえ。開けないなら蹴破るぞ」 まさかと思ったが、しばらくすると彼は本当にドアに体当たりを始めたようだった。 衝撃に壁が震え、ドアが歪んでいるのを見たレイチェルは思わず息を呑んだ。 「わ、分かったわ、分かりましたから、ちょっと待って」 だが、彼女はわざと時間をかけてチェーンを解除すると、2つある鍵も必要以上にゆっくりと順番に外していった。 まったく音沙汰なしだったのに、なぜ今頃になってあの男がこんなこところに訪ねてきたのか。彼女は困惑すると同時に、今まで抑えていた怒りが込み上げてくるのを感じた。 よくも、のこのこと出て来られたものだわ。私たちにあんなことを言っておきながら。 「早く開けないか。何をもたついているんだ」 ドアの向こうから彼のいらついた声が聞こえてきた。 「煩いわね。そんなに待つのがイヤなら帰って下さって結構よ」 よほど再び鍵を閉めて追い返してしまおうかと考えたが、思い留まった。 下手にドアを壊されでもしたら修理するのが大変だ。うちには今、そんなお金の余裕はない。 ドアが開いた瞬間、彼は強引に自分の体を室内に押し込んできた。その勢いで、レイチェルは突き飛ばされ、よろめいて2、3歩後ろに後ずさった。 「もう、一体何の用なの?この図体の大きな野蛮人」 レイチェルの挑発を軽く受け流した彼が正面に立つ。 ゆうに180cmを超える長身の男は、肩を怒らせて立ちふさがる彼女を冷たい目で見下ろした。 薄い青灰色の瞳。 アレックスと同じ色の瞳だ。 「ミズ・マデリンに話がある」 それを聞いたレイチェルは青ざめた。 「マ、マデリンはいません。例えここにいたとしても、あなたなんかに会いたいと言うはずがないわ」 「それでも私は彼女に会う必要がある。拒否することは認めない」 「認め…ないですって?」 レイチェルは殴りかかりたい衝動を抑えながら体の脇で拳を握り締め、唇をきつく噛んだ。 「恥知らず!あんなことをしておいて、どの面下げて、そんなことが言えるのよ。絶対、絶対にあなたはあの子に会うことはできないわよ」 彼はレイチェルの剣幕にたじろぐどころか、眉一つ動かさずに彼女を見据えた。 「いや、会う。会わなければならないんだ」 その強引な言葉と傲慢な態度に、思わず呆れた笑いが込み上げてくる。 「何が可笑しい?」 発作のように笑い出した彼女を見たグラントは憤懣した。 「相変わらず、独りよがりの自分勝手ね。そう、ならば引止めはしないわ。どうしてもと言うのならご自由にどうぞ。ただし、妹は本当にここにはいないの」 「では居場所を教えてもらおう。彼女はどこにいるんだ?」 訝しい顔をする彼に向かって、レイチェルは吐き捨てるように言葉を投げつけた。 「マデリンは…あの子は亡くなったわ。2ヶ月も前に。会いたかったらあの世にでも出向くのね。もっとも今更マディがあなた達に会いたがるとは思えないけど」 「亡くなった?」 「そう、妹は死んだわ」 レイチェルは彼に詰め寄ると、人差し指を高級そうなスーツの胸に突きつけた。 「マディは殺されたのよ。あなたと、あなたのあの、ろくでなしの卑怯な弟にね」 1年前、彼女と妹は意を決してハミルトンのオフィスへと足を運んだ。 妹の、マデリンの妊娠が発覚したからだ。 相手はハミルトングループのオーナーの弟、ジェフリー・ハミルトン。 二人はマデリンが大学進学の学費を稼ぐためにアルバイトをしていたホテルのカフェで知り合い、すぐに深い仲になったという。 この時マデリンはまだ18歳。ハイスクールを卒業したばかりだった。 妹から妊娠を打ち明けられたレイチェルは、何とかジェフリーに連絡を取ろうとしたのだが、どこに電話を入れても取り次いではもらえず、メールにもまったく返信がない状況が続いた。 マデリンはショックのあまり憔悴しきっていたが、それでもジェフを信じているのか、毎日のように彼に宛てて手紙を書いては投函し続けていた。 だが、それでも何の音沙汰もなく、彼女たちには果たして手紙自体が彼の元に届いているのかさえも分からなかった。 このままマディを捨てるつもり? 不安と苛立ちに思い余った姉妹は、あの日とうとう彼のオフィスにまで出向いたのだった。 秘書に追い返されそうになりながらも食い下がり、やっと面談の了承を取り付けた。 待たされること1時間半。 二人は僅かな望みを持って祈るような気持ちでその人を待った。 だが、応対に出てきたのはジェフではなく、目の前の男、グラント・ハミルトンだった。 弟のジェフリーは、最近海外の支社に移り、ここにはいないという。 「で、ミズ・ローガン。おいくらほど、お入用かな」 話を聞いたグラントは、すぐに抽斗から小切手帳を取り出すと、ペンを握った。 「お金なんていりません、Mr.ハミルトン。私たちはただ、ジェフリーに会わせていただきたいのです」 だが、それを聞いた彼は鼻で笑うと、適当な金額を書き込み、切り取った小切手を二人の前に差し出した。 「仮に妹さんが妊娠しているとしても、弟の子供である確証はないのでしょう。よくいるのですよ、虚言で私たちを脅して強請ろうとする輩がね。ただ、弟が妹さんと何度かデートをしたのは確かなようだ。それでティーンエイジャーの女の子を食い物にしたとあらぬ噂を立てられるのはこちらも迷惑だ。これでこの話は収めていただきたい」 目の前に差し出されたのは、10万ドルの小切手。 彼女が見たこともないような数字の大金だった。 「こ、れは…?」 「これだけあれば数年は生活していけるだろう。さあ、これを持ってお帰りいただこう。そして、もうこれ以上、弟に付き纏わないでくれたまえ」 その場に崩れるように座り込んだマデリンを見た、レイチェルの怒りが爆発した。 彼女は徐に彼の手から小切手をひったくると、その場でそれを小さく粉々に破り捨てた。 「こんな汚らわしいものなんか要りません。あなたなんて…あなた達兄弟なんて地獄にでも落ちればいいんだわ」 「ミズ・ローガン?」 レイチェルは、グラントの声で現実に引き戻された。 「まだ何か御用ですの?何度も申しあげましたが、マデリンはもうここにはおりません。それどころか、この世にさえいないのですから。お分かりになられたなら、さっさとお引取りください」 あからさまな拒絶の言葉にも怯むことなく、彼はそこに居続けていた。 「妹さんのことは知らなかった。お悔やみを申しあげ…」 「心にもないことを」 彼の言葉を遮り、レイチェルが鼻で笑う。 「あなたたち、ろくでなし兄弟にとっては、都合が良かったのではありませんか?これでマディが世間に『悪い噂』を吹聴する機会は永遠になくなったのですから」 グラントの頬のあたりに赤みが差す。 一年前に自分が何を言ったのか、少なくとも彼はまだ覚えていたらしい。 「とにかく話を聞いて欲しい」 「遠慮させていただきます。あなたの傲慢さに付き合えるほど、私は心が広い人間ではありませんから」 玄関のドアを押し開け、彼の体を力任せに押し出そうとする。 「ミズ・ローガン」 「お帰りください」 「ミズ・レイチェル・ローガン」 「帰って!これ以上居座るなら警察を呼ぶわよ」 それでもグラントはその場に踏み留まった。 「弟が…ジェフリーが先々週、事故で他界した」 レイチェルは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐにそれを押し隠した。 「そう、それは残念でしたこと。でも、そんなこと、私たちには何の関係もありませんわ」 「それがあるんだ」 彼はそう言うと腕に力を込めて彼女を退け、再びドアの中へと押し入った。 「ミズ・ローガン、弟は妹さんに多額の遺産を残した。弟は…ジェフリーは自分の資産のほとんどをミズ・マデリン・ローガンに与えるよう遺言したんだ」 HOME |