人肌に温まったベッドは、魅惑的だ。特に冬の寒い時期には。 レイチェルは浅くなった眠りにとらわれたまま、夢の中を彷徨っていた。 そこは遂に見ることのなかった、穏やかな情景が広がっている。 なぜか彼女は、祖父の家にいた。 古い家の前にある小さな庭には花が溢れんばかりに咲き乱れ、緑の芝の上でアレックスが転げまわって遊んでいる。 ポーチの朽ちかけた籐椅子に座ってそれを見ているレイチェルの横には、柔らかに微笑むマデリンの姿もあった。 軋む床板や、立て付けが悪くて開け閉めするたびにギイギイと鳴る窓。ドアに取り付けられた可愛らしい音のするベル。 どれも彼女が幼い頃から親しんだ懐かしいものばかりだ。 「アレックス」 呼ばれたアレックスが、こちらに向かって駆け出してきた。 いつの間にこんなに上手に歩けるようになったの? 疑問に思う間もなく、小さな体がレイチェルの胸に飛び込んでくる。 ああ、何て温かいのかしら。 その小さな頭をぎゅっと抱きしめると、黒い髪の毛に頬を寄せた。 その時、胸元からくぐもった笑いが聞こえた。 「熱烈な歓迎は有難いが、もう少し腕を緩めてもらえないかな」 はっとして目を開くと、そこにあったのは見たことのない部屋だった。 そして、自分が掻き抱いているのは同じ黒髪でもアレックスのものではない。 「な、何であなたが」 慌てて腕の中のものを放り出し、起き上がろうとしたレイチェルは、金槌で頭を殴られたような痛みに思わず呻いた。 「随分な扱いだな。急に動かない方がいい。と言っても、その状態では起き上がれまいが」 頭が割れるように痛む。その上気分も最悪だ。 「まぁ、立派なものだよ。あれだけ酔っ払ったのに吐くこともしないで、二日酔いだけで済んだのは奇跡だ」 昨夜、レイチェルを連れてマンションに戻ったグラントは、寝室の仕度を前に唖然とした。 シンプルだったドア周りは毛足の長いラグが敷かれ、モノトーンのブラインドがドレープのあるカーテンに掛けかえられている。ベッドサイドにはどこから調達してきたのか、見たことのない巨大な花瓶が置かれ、溢れんばかりに活けられたバラが濃厚な芳香を放っていた。 いつもは革が剥き出しのソファーにもクッションが並べられていて、テーブルには果物とクーラーに入ったシャンパンまで用意されていたのだ。 これではまるで、新婚カップル向けのホテルのスイート仕様だ。 今はほとんど戻ることがなくなったとはいえ、いつの間に自分に知られないように、これだけの改装と準備をしたのかと、グラントが苦笑いを浮かべた。 取りあえず新品のサテンのシーツにレイチェルを下ろすと、靴を脱がせる。そして自分も上着を脱ぎ、ソファーの上に放ると、襟元から指を入れてタイを緩めた。 「お祖母様、これはちょっとやり過ぎだと思いますが」 グラントが、空に向かって独り語ちる。 横のベッドでは、何も知らないレイチェルが、すやすやと眠り込んでいた。 見ていると、何度も寝返りを打ちながら、胸の辺りの布を引っ張る様子に、張り付いたドレスが窮屈なのだと気がついた。 何にしても、ドレスを脱がないと気持ちよくは眠れないだろう。 「レイチェル、起きなさい」 しかし彼女は肩を掴んで揺する手を邪魔そうに振り払い、一向に目を覚ます気配はない。その上、丈の長い裾が煩わしいのか、自分で引っ張ったスカート部分がずり上がってしまい、今のままでは脚が丸見えだ。 「まったくもう」 捲れ上った裾からのぞく、ほっそりとした脚と太腿で止められたレースのガーター。 彼とて健全な性欲を持つ普通の男性だ。 若い女性の、こんなあられもない姿を見ていると、どうにも制御できない部分が固くなってくるのを止めることはできない。 しかも、問題のその相手は、今や自分の妻だ。 自分の体の反応は見ない振りをして、グラントは仕方なくレイチェルをうつ伏せにすると、ドレスを緩めにかかった。 ホルターネックになっている首の後ろのホックを外し、背中のファスナーを下げかけた彼の手が途中で止まる。 「参ったな…」 レイチェルはブラジャーを着けていなかった。そもそもこれだけ背中の開いたデザインでは、着けたところで外から下着が見えてしまうのだろう。 このままドレスを脱がせてしまうと、レイチェルが身につけているのはパンティとガーターベルトで止めたストッキングだけになってしまう。 裸にしてしまうと、彼女が目を覚ました時に気まずい思いをするだろう。 グラントは溜息を漏らしながら、ベッドの端に腰を下ろした。 「一体私にどうしろ、と言うのだ?」 これはまさかの展開だった。 ここでなら、外野からの邪魔が入ることなくこれからのことを話し合えると考えていたのに、当の本人がこれではどうにもならない。 彼はお手上げの状態で頭を振りながら、何かを身につけられるものを探しに、部屋続きになっている浴室へと向かった。 そして一夜明けて、今の状況だ。 「何であなたがここにいるの?」 「本当に何も覚えていないのか?」 状況が飲み込めず戸惑うレイチェルを、グラントは半ば面白がるような様子でながめている。意識して目を逸らしてはいたが、彼が上半身裸なのには気付いていた。 「まったく。何も」 こめかみを押さえながら呟くようにそう答えたレイチェルを見て、彼は徐にトランクス一枚の体にローブを羽織ると、平然とどこかに消えて行った。 それを横目で見ながら、レイチェルは生まれて初めて味わう二日酔いに苦しみ、再びベッドに沈み込んだ。 昨夜、食事をした後の記憶がない。確かにいつになく多くのお酒を飲んだことは事実だ。だが、一体いつどうやって店を出てここに来たのか、それさえもまったく覚えていなかった。 ふと見下ろした自分が見たことのないバスローブを着ていることも信じられない。着替えた記憶がないのだ。そうなると、どう見ても彼が着替えさせたとしか考えられない。 半裸の男性と同じベッドで一晩。それもローブ一枚羽織っただけの姿で。おまけにここで何があったのか、その記憶もない。 最悪だわ…。 自分の失態が恥ずかしい。 今までは意識がなくなるほどお酒を飲んだことはなかったし、振る舞いにも気をつけてきたつもりだった。 特に男の人の前では、付け入る隙を与えないよう注意していたのに。 それがあろうことか、グラントに無様な姿を晒してしまったなんて、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいし、情けない。信じられない自分の行動に頭を振ろうとして、再び頭痛に見舞われた彼女は、呻きながらシーツの中に潜り込んだ。 「これを飲んでおくといい」 声を掛けられ、シーツの隙間から外をうかがうと、いつの間にかベッドの側に戻っていたグラントがグラスに入った水と薬を差し出していた。 「二日酔いに効く薬だ。鎮痛剤も入っているから、頭痛もなくなるだろう」 レイチェルは短く礼を言ってグラスを受け取ると、薬を水で流し込んだ。 薬を飲み込もうと上を向いただけでも頭にがんがんと響く。 即効性は期待できないが、そのうちに頭痛も治まってくるだろうと自分に言い聞かせながら、霞のかかった回らない頭で今の状況を整理しようとした。 「あの…」 レイチェルから受け取ったグラスをテーブルに置くと、グラントは再びベッドの側に戻ってきた。 「話は後で、とにかく眠りなさい。まだ明け方だ。私も、もう少しゆっくりしたい」 彼はそう言うと、着ていたローブを脱ぎ捨て、レイチェルの側に滑りこんだ。 ええっ、何であなたもここで? 疑問が顔に表れたのか、グラントが眠そうな声で応える。 「もちろん、ここは私のベッドだからだ」 動揺するレイチェルを他所に、グラントはすぐに穏やかな寝息を立て始める。 ベッドを抜け出そうにも、グラントを起こさずにそれをするのは難しい。何よりも、今は自分で起き上がることさえ億劫だ。 少しだけ休んだら…頭痛が治まったら、彼が目を覚まさないうちにここから抜け出そう。 レイチェルはそう思いながら彼に背中を向けて目を閉じる。 ちょっと休むだけ。眠ったりしないから…。 規則正しい呼吸を耳元で聞いているうちに、暫くするとレイチェルもゆっくりと眠りに引き込まれていった。 無意識にグラントの腕がウエストに回り、背中から抱き寄せられているが分かったが、その温もりが心地よく彼女を包んでいることに、少しの困惑を感じながら。 HOME |