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復讐は甘美な罠 14


レイチェルがハミルトンの屋敷に来てから2ヶ月が過ぎようとしていた。
グエンはその間一度も大きく体調を崩すことなく、まずまずの状態を維持していた。
アレックスはここに来てから掴まり立ちを覚え、数日前からは数歩だが一人で歩けるようにもなった。
天気が良い日は、アレックスがリンに連れられて庭の散歩をしている光景を、レイチェルはよく部屋の窓から眺めていた。

「早いものね。もうあの子が歩き始めるなんて」
一緒に外を見ていたグエンが感慨深そうに話しかける。
「ええ、本当に」

マデリンがこの世を去った時、アレックスは生後半年足らずだった。
まだ一人で満足に座ることもできなかった赤ん坊が、あっという間に歩き始めている。
そういえば、忙しさにかまけて、久しくマデリンの墓にも参っていないことに気付く。

次に所用で出掛ける時にはアレックスも連れて行って、マデリンの墓前で歩き始めたことを報告してこよう。
レイチェルは頭に中のメモに書きとめた。



その時ノックの音が部屋に響き、開いたドアからグラントが入って来た。
「今日の加減はいかがですか?」
いつもながら、単刀直入に切り出した彼は、グエンのベッドの側に歩み寄った。レイチェルには軽く頷いただけだ。
「ええ、いいわ。ありがとうグラント」
グエンはグラントから頬にキスを受けると、彼の背を軽く叩いた。
「でもあなたは忙しそうね。お酒だけではなく、ちゃんと食べているの?」
「何とか生きていくのに支障がない程度には」
いつもここで繰り返されるやり取りだ。

新しい環境や仕事に慣れて周囲を見回す余裕ができた頃、レイチェルは彼が思っていた以上にグエンドリンのことを気にかけていることに気付いた。
グラントが病室にいるのは、ほんの数分だったり、時には顔を見せただけで出掛けてしまうこともあるが、それでも公私共に多忙な生活を送っている彼にしてみれば、ここに寄るだけでも時間のやりくりは大変なものだろう。

元々、グラントは市街地近くに自身が所有するマンションで生活していて、この屋敷には暮らしていなかった。今もそれに変わりないが、グエンが倒れてからは、時間のあるときや、週末はできるだけ屋敷に帰って来て、顔を見せるようにしているようだった。

再びノックの音がして、今度は庭から戻ってきたアレックスとリンが、グエンの部屋を訪れた。
「少し見ないだけで、また大きくなったような気がするな」
グラントは、リンに抱かれたアレックスに手を差し出すと、軽々と抱きとる。
ここに来てからというもの、何かと自分に構ってくれるグラントに懐いたアレックスは、彼の腕の中でご機嫌な様子だ。


驚いたことに、グラントは思いのほかアレックスを可愛がっている。
グラントが屋敷に寄るのは夜間や夕方が多いため、顔を合わせる機会こそ少ないが、姿を見れば必ず足を止めてアレックスをあやしてくれる。
そして玩具や子供用の家具など、週に一度は必ず何か子供のものを届けさせてくるのだ。

最初の頃は部下にでも、適当にデパートにあるものを選ばせているのだろうと思っていたレイチェルだったが、そのうちに彼が贈ってくるものがアレックスの発達の段階に合わせた道具であることに気付いた。
物がしっかり握れるようになれば柔らかい大きなブロック、自分でスプーンを握り、食事をしたがるようになった時は大判のトレーが付いたキャリーチェアー、歩き始めた先日は、動くと木製の動物が跳ねる仕掛けが付いた手押し車だった。
それらは、彼がアレックスの今の発達状況を見た上で、自分で選んで贈ってきているとしか思えないものばかりだ。


「あなたも早く良い相手を見つけて、自分の子供を持つとよいのに」
二人の様子を見ていたグエンが、小言を言う。
「いえ、私はまだそんなことは考えられませんよ、忙しすぎて。それに、父親がいつも不在な…こんな状況では子供も可哀想だ」

彼は現在も独身で、一人暮らしだ。
グラントほどの地位や財産があれば、結婚相手は選り取りであろうに、なぜ彼が30歳にもなって未だ伴侶を得ようとしないのか、レイチェルには不思議だった。
後に、それをグエンに尋ねてみたところ、思いがけない答えが返ってきた。

「あら、グラントは前に一度結婚していたのよ」


学生時代に知り合った元妻のティーナは、南部の裕福な家の出身だった。
家柄的には問題はなかったが、大学卒業を待たずに、すぐに結婚したいという若い二人の衝動的な希望は、当然のことながら周囲の猛反対を受けた。
特に父親は、自らの苦い経験から、グラントが結婚に逸ることを危惧した。息子には、深く考えずに伴侶を選んだ自分と同じ轍を踏ませたくない、という親心もあったのだろう。

だが、結局グラントは自分たちの意見を押し通した。
親族にも内緒で勝手に結婚式を挙げてしまったのだ。
その性急さを危惧したグエンも、過去に自分が息子に勧めた結婚が破綻したという負い目があり、孫の結婚には口を挟むことができなかった。

しかし、若さゆえに急激に燃え上がった情熱は、長くは続かなかった。
大学を卒業した後は父親の下で本格的に会社運営に乗り出すことが決まっていたグラントと、あと2年学業が残っていて、その後もこのまま大学で研究を続けたいと希望したティーナは互いに譲らず、結婚後わずか半年足らずで別居状態に陥ってしまった。

しばらくは予定をやりくりして行き来していた二人だったが、いつしか足が遠のいていった。結婚に自然消滅という言葉は適当ではないが、グエンから見ると、まさにそういう感じで気持ちが離れていったように見えたという。
結果として、この結婚は二年も持たずに解消されることになった。


「それ以来グラントは周囲にどんなに言われても、伴侶を持つことを拒んでいるの。いろいろな女性と軽いお付き合いはしているようですけれどね」

マデリンとジェフのことがあって以来、レイチェルはそれまで全く興味がなかった新聞の社交欄にも目を通す機会が増えた。
時折写真入で載る記事に、グラント・ハミルトンの姿を見たことが何度となくあった。
そういえば、隣には必ずと言っていいほど美しい女性が日替わりで一緒に写っていたのを思い出す。
「本当ならばグラントが再婚して自分の子供を持つことが一番良いのだけれど、なかなか首を縦に振らないのよ。特に今はアレックスがいるから、自分が後継者を作る必要が薄くなったと思っているみたいで、ますます結婚に興味を示さなくなってきたみたいだし」


ハミルトンの後継。
よくグラントが口にする言葉だ。
彼があれほどアレックスに固執する訳は、実はジェフリーの遺産などではなく、これが主な要因なのだろう。
だが、どちらにしてもアレックスはハミルトンには渡さない。彼の跡継ぎは彼が作れば済むことなのだから、それをアレックスに背負わせるのは筋違いだ。

レイチェルは思った。
何にしても、グラントには諦めてもらうしかない。




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