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復讐は甘美な罠 13


レイチェルの雇い主であるグエンドリンは、70代半ばの上品な婦人だ。
元々は、イギリス貴族の出身で、グラントの祖父と結婚するために19歳の時に単身アメリカに渡ってきたという。
そんなに若くして、誰も知り合いがいない土地に一人で乗り込むことに不安はなかったのかと尋ねると、グエンは品良く笑いながらもこう答えた。
「私も若かったですからね。冒険がしたかったのよ」


貴族階級に生まれた彼女には、長じると社交界に出て裕福な結婚相手を探すことが求められた。
まだ女性が社会に進出するには厳しい時代だったこともあるが、特にグエンのように対面を重んじる家柄に生まれた女性には、職業どころか結婚相手の自由さえないと言ってもよいくらいだった。
フィニッシングスクールを出て、デビュタントとなり社交界にデビューしたものの、退屈なパーティーや社交行事が続く毎日に辟易していた彼女のところに舞い込んだのが、彼女を見初めたと言う、見ず知らずのアメリカ人実業家との結婚話だった。

「もちろん、目的は家がらみ、お金がらみだったわ。爵位はあっても財政的に厳しかった私の実家と、お金はあってもイギリス社交界ではアメリカの成金としかみなされず、後ろ盾が必要だったハミルトン家。互いに欲しいものの利害が一致したのね」

どうせ他に選択の余地がないのだから、とグエンは可能性に賭けたのだという。
若い女性が持つ、古い因習から逃れてみたいという未知の世界への憧憬も、どこかにはあったのだろう。
ただ、気位の高い親族たちからは、金で成り上がり者のアメリカ人に買われただの、借金のカタの身売りだのと、散々な言われようだったという。
「でも、ここに来てみて…この結婚はそんなに悪いものでもありませんでしたよ。
確かに慣れないうちは大変なことも多かったけれど、何よりもこの国には伝統に縛られない自由があった。それに、夫は…グラントたちの祖父はなかなかハンサムで気前が良い人だったし」

以前レイチェルは、グラントの書斎に飾られた彼の祖父の壮年の頃の写真を見たことがあった。
白髪の混じった黒髪に濃い碧眼、口元に髭をたくわえた大柄な男性は、今のグラントをそのまま少し老けさせたような感じだった。
「私と夫の場合は、そんな結婚でもそれなりにうまくいったのですよ。ただ…」
グエンが言いよどむ。
「あの子たちの、グラントとジェフリーの両親はそうはいかなかった」


グラントの両親も、やはり家のつりあいで決められた結婚をした。
グエンと同じように、イギリス貴族の出身だったグラントの母親は、子供の育て方に故国の貴族階級の習慣を持ち込んだ。
グラントが生まれると、わざわざイギリスからナニーを呼び寄せたのだ。
自らも同じ育てられ方をしたという母親は、子育てに関ることを嫌がった。
子どもの世話はすべてナニーに任せっぱなしで、授乳もろくにしたことがない。
まだ乳児だったグラントが高熱を出したときでさえ、側に付き添わず、夜会や観劇といった自分の娯楽を優先した。
その上、、浪費癖もあった彼女は、始終パリやミラノといった海外の都市を飛び回り、裕福な夫の財力をバックに高価な買い物をし続けた。挙句の果てに、ジェフリーを産んだころから大っぴらに愛人を作って遊びまわるようになり、最後には自宅にさえ寄り付かなくなってしまったのだという。

一方で、事業の拡大に猛進していたグラントの父親は、耳に入ってくる妻の所業をことごとく黙殺した。
金さえ自由に使わせておけば大した騒ぎもおこさない妻は、彼にとっては正当な跡継ぎを得るための手段でしかなかったのだ。
そんな父親自身も家庭より仕事を第一に考えていたために、子供に構う時間はほとんどなく、幼いグラントとジェフリーの兄弟は、いつもナニーや使用人たちに囲まれて生活をしていた。
家族が揃うのは、対面を保つ必要があるときだけ。
だが、それも長くは続かなかった。
もとより愛情など欠片もなかった両親の結婚は、ジェフリーが生まれて数年後に破綻、母親は離婚時の莫大な財産分与を土産にイギリスへと戻り、後に再婚したという。
もちろん離婚に際して子供の親権はグラントたちの父親が取った。
母親は子供たちには目もくれず、面会権すら慰謝料の上積みと引き換えにその場で放棄した。

「自分が産んだ子供なのに、よくもそんなことを」
レイチェルは信じられないといった様子で首を振る。
「ジェフはまだ幼すぎて何も覚えてはいなかったようだけれど、グラントはその時のことをはっきりと記憶しているのよ。『自分たちは母親に捨てられたのだ』ということをね」

両親が離婚時に、まだ3歳だったジェフリーはグエンが引き取ったが、学齢期に達していたグラントは、父親によって良家の子弟が集まる全寮制の学校に入れられた。
それから彼は、一度も家族の団欒や家庭の温かさを味わう機会を与えられなかったというのだ。


グエンは深い溜息を漏らした。
「グラントは幼い頃からこの家を継ぐためにと、父親が厳しい教育を受けさせました。その点、次男だったジェフリーは、私の手元に長くいた分、まだいろいろと選択の自由があったと思ってよいでしょうね」


グラントの冷徹な性格の一端はこの生い立ちが起因しているのかもしれないと、レイチェルは思った。
生まれた時から愛情を注いでくれる人もなく、ただただ人の上に立つことを運命付けられた孤独な少年は、心を許せる人もないまま成長し、やがて孤高の大人になった。
いや、自分を守るために、そうならざるを得なかったのだ。
レイチェルが両親から、そして両親亡き後は祖父から与えられた家族の愛情の重みを思うと、例え金銭的には恵まれてはいても、彼の辿ってきた人生がいかに侘しく潤いのないものであったのかは想像に難くない。

「当時の私に、息子からあの子を引き離す力があれば…あの時無理にでもグラントをジェフリーと一緒に引き取っていれば、ああまで感情を表さない、頑なな性格にならずにすんだのかもしれない。そう思うと辛いわ」

肩を落とし、後悔の滲む言葉を呟くグエンを慰める言葉を見つけられず、レイチェルはただ黙って見つめているしかなかった。




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