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復讐は甘美な罠 12


足元を気にしながら、たどたどしくステップを踏むレイチェルの動きはぎこちない。
ダンスに長けたグラントが巧くリードをしていなければ、すぐにも脚を縺れさせてしまいそうだ。
そして、ついに彼女は踏み出す脚を誤り、グラントの脚を思いきり踏みつけてしまった。

「す、すみません」
気にする素振りもなく、平然とした顔で踊り続けるグラントに引きずられながら、レイチェルは身を縮めるようにして謝った。
「良くあることだ。気にしなくていい」
そう応えつつも、グラントは訝しんだ。
レイチェルくらいの年齢の女性ならば、パーティーや何かでダンスをした経験がもっとあっても良さそうなものだが、今の彼女は男性と踊ることにさえ不慣れで緊張しているように見えた。
ドレスから剥き出しの腕や首筋を彼の手が掠っただけでもびくりと震え、普通は考えられないような初心な反応をする。

二度目に彼女が彼の脚を踏みつけた時、ついにレイチェルの動きが止まった。
「ごめんなさい、やっぱり私には無理です」
「大丈夫だ、そのまま続けたまえ」 彼女の謝罪を無視し、再びレイチェルを腕に抱くと、グラントはさり気なくグエンたちのいる場所から反対の部屋の端に移動した。
「本当にもう無理なので、離してください、ミスター・ハミルトン」
周囲に聞こえないように、レイチェルは小声でそう言うと、グラントから離れようともがいた。
「ミズ・ローガン、見たところ、君はダンスをした経験はあまりないようだが」
「ええ、申し上げた通りです、ミスター・ハミルトン。こんな高価なドレスを着たのが初めてなら、男性とダンスをしたのも初めてです」

抵抗も虚しく、レイチェルは一層強く身体を引き寄せられると、彼の腕の中でくるりとターンさせられる。グラントのリードは巧みで、ステップが止まりそうになるたびに、彼の太腿が彼女の脚を割って入り、次に出す脚の順番を促すのだ。
「だが、プロムぐらいはあっただろう」
「ええ、高校の時に…」
あまり良い思い出とは言えない記憶に、レイチェルは寂しげに微笑んだ。



両親を早くに亡くしたレイチェルたち姉妹は、唯一の肉親だった母方の祖父に引き取られた。
祖父は優しく、姉妹の面倒をよくみてはくれたが、何分にも年金暮らしでは孫を養い、食べていくだけで生活はぎりぎりだった。
彼女が高校を卒業する頃、高齢だった祖父がついに病に倒れてしまった。
その治療費の支払いを工面するために、今までコツコツと貯めていたアルバイト代まですべて供出してしまったレイチェルには、新しいドレスを買うような金銭のゆとりがなかったのだ。
それにまだ小学生だったマデリンを、夜一人ぼっちで家に置いていくこともできなかった。
着飾って出掛けていく近所の友人たちを窓越しに見ながら、疎外感に一人涙を流した苦い思い出だ。

相変わらずレイチェルは俯いたまま、ロボットのようにぎこちなく足を運んでいた。
「君ならば、一緒にいく相手は引く手数多だったのではないか?」
グラントは脚捌きに加減を加えながら、彼女を軸足で支えて回す。
少しの間があって、レイチェルがぽつりと答えた。
「いえ。参加…しませんでしたから」



規模や格式に差はあれども、卒業式後のプロムはどこの学校でも伝統的に行われているものだ。
特に女の子たちは、晴れて大人の仲間入りとばかりに念入りにドレスアップして、パートナーにエスコートされて誇らしげに会場に集まっていたように思う。
止むを得ない理由でもない限り、自らの意思で参加しない女子生徒の話はあまり聞いたことがなかった。
グラントは考えた。
彼女はどこか肉体的、あるいは精神的に欠陥があるのだろうか。
例えば男に触られるのが嫌だとか、もっと言えば男性自体が嫌いだとか…。

「君は男性恐怖症とか、レズビアンとか、そういった類なのか?」
唐突に真顔で問うグラントに、レイチェルが思わず吹き出す。
「いいえ、私はいたってノーマルです。男の方とお付き合いしたこともありますし、別に男性が嫌いだとか、恐いとも思いませんから」
「ならば、なぜ…」

その質問の真意に思い至ったレイチェルは、何も答えず哀しげに目を伏せた。
明日の生活を考えて、かつかつの暮らしをしている人間に日々を楽しむ余裕はない。
安物のドレス一枚を買うお金さえなかった、ティーンエイジャーの女の子の悲哀は、彼のように裕福な家に生まれついた人には到底理解できないのだ。

「ところで、ダンスがお上手なのですね、ミスター・ハミルトン」
その話題から気を逸らせるようにレイチェルが話題を変える。
「十代のころから場数を踏んでいるからね。こういったことも早くから始めると自然と身につくものだ」
思わせぶりな言葉に、その言外の意味を悟ったレイチェルが彼を睨み付ける。

―幼いときからの経験は重要だ。
    だからこそ、アレックスはここでそういう育てられ方をするべきなのだ―

彼は、アレックスは自分と同じ世界に属するべき人間だと思っている。
そして、明らかに自分たちとは異なる階層にいるレイチェルが与える影響を排除したがっているのだ。

「それは残念ね、ミスター・ハミルトン。アレックスはあなたには渡さないわよ」
グラントは睥睨する彼女を表情一つ変えることなく悠然と見つめている。
「それは残念だ、ミズ・ローガン。できれば事は穏便に進めたかったのだが、止むを得ないな」
傍目には穏やかにステップを踏んでいるように見える二人だったが、その間には目に見えない反目の火花が散っていた。


曲が終わり、レイチェルはグラントに手を引かれ、グエンの元に戻った。
老婦人の満足そうな笑みに、レイチェルも現下の怒りを抑え隠して微笑みを返す。

「レイチェル、初心者にしては上出来ですよ。グラントもお疲れ様、もうお仕事に戻っていいわよ」
グラントは頷いて祖母の頬に軽くキスをすると、優雅にお辞儀をした後でレイチェルの手にも口付けをひとつ落とす。そしてそのまま何も言わずにドアへと向かった。

「相変わらず、マナーは完璧だけれど愛想がないわね」
それを見ていたグエンが苦笑する。
一方レイチェルは彼に口付けられた手を握り締めたまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。
こんな気障なことを平気でする男性は、映画の中くらいでしか見たことがない。
ましてや先ほどまでいがみ合っていた相手に向かって。

ドアの向こうに消えたグラントの後姿をぼんやりと見送りながら、レイチェルは、彼と自分との間にある超えられない境涯の差をひしひしと感じていたのだった。




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