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Chapter V

   躊躇いのラプンツェル  2


チャペルでの式は両家の家族と近しい身内、そして友人が数名参列するだけの内輪のもので、前日にしたリハーサル通りに滞りなく終わった。
そしてその次に控えているのが本日のメインイベントともいえる豪華な披露宴だ。
招待客は800人あまり。もちろんその中には新郎新婦の親族、友人知人だけでなく、桐島の取引先関係者や親交のある政財界の大物たち、それに有名スポーツ選手や芸能人など、あらゆる業界から名だたる名士たちが招待されている。
その人々の中で約4時間にも及ぶ宴席に臨まなくてはならないのだ。それも常に顔に笑みを貼りつけた状態のままで。
体力と、それ以上に精神力を必要とするそれは、言葉を変えれば苦行に他ならない。
気心の知れた友人のスピーチや余興とは異なり、杏自身はほとんど面識もない人からの祝辞を延々と聞かされ続けることなど、考えただけでげんなりしそうなものだ。その上どこまでが本気でどこまでがリップサービスかも分からない相手にも失礼がないように接しなければならないのだから、臨席している間はまったく気を抜くことができない。
彼女たちの披露宴は、次の桐島のトップを世間に印象付けるためのいわゆる顔見世興行のようなものなのだ。

高砂の席につき、会場に所狭しと並ぶ円卓を見渡してもその大部分は彼女の知らない顔ばかりだ。
もちろん、会場には学生時代の友人や恩師、それに数は少ないが親戚などもいるにはいるが、何分にも席が遠すぎて杏のいる場所からははっきり誰とまでは認識できなかった。
ただ、人でびっしりと埋まったテーブルの一番奥手、杏の側の家族が着いた席には、そこだけぽっかりと歯が抜けたような空間があるのが分かる。
そこは本当ならば彼女がこの場に一番来てほしかった人、次姉の梨果とその夫の園田が着いているはずの席だった。
梨果夫妻にも、もちろん招待状を送ったが、返って来たのは欠席のハガキだった。杏自身、参列してくれるようにと電話をしたし、長姉の柚季や梨果の夫である一真も巻き込んで幾度となく説得を頼んだのだが、結局梨果は首を縦に振ってはくれなかった。
彼女は最後まで「私は桐島の家とは関わり合いたくない」と言い張り、桐島家の一員として公の場に出ることを拒んだのだ。
それでも杏は園田たちの席を準備させた。もしかしたら、直前に気が変わって駆けつけてくれるのではないかという、淡い期待を込めて。
だが、人がひしめき合う会場内で、その二人分の空席が寂しげに虚ろな空間を作っているのを見た杏は、今さらながら何とも遣る瀬無い気持ちになった。
そんな彼女の様子を察した井川が気遣わしげな目を向ける。
「大丈夫か?」
「ええ。平気よ」
そう口にしながらも、気分が沈むのは致し方ないことだろう。この場にいるのは自分の知らない人ばかり。ただでさえ少ない家族なのに、兄は早世、父親は病に倒れ、姉にも祝福してもらえないなんて。

桐島の家は元々6人家族だった。それと、今度杏たち夫婦が新居として使うことになった離れに父方の祖母が一人で住んでいたが、彼女が中学に上がる頃に亡くなっている。
兄弟姉妹4人のうち、上の二人、柚季と梨果は杏たちとは少し年齢が離れていたせいもあり、あまり遊んだりした覚えはないが、双子だった兄の穣(みのる)とはいつも一緒だった。
ただ、彼は桐島の家に生まれたただ一人の男の子ということでいつも何某か周囲から注目されていた一方、その陰で杏はまったく目立たない存在だったというだけだ。
長姉の柚季は早々と旧家に嫁ぐことが決められていたし、次姉の梨果は早い時期から人や物を動かすことに才覚を表していたために、ゆくゆくはグループの経営の一角の担い手になるだろうというのが専らの評判だった。そして兄の穣は将来桐島を背負って立つ後継者と目され、周りの大人たちも期待を寄せていた。
そんな兄姉たちに囲まれながら、杏だけは誰からも何も望まれない特異な存在だった。
今になって思い返せば、自分の両親たちでさえ「いてもいなくても構わない」という感じで彼女を扱っていたように思う。
その分姉たちは穣に対する以上に目を掛け、年の離れた妹の彼女を可愛がってくれたのでそれ自体を不服だと感じたことはなかったが、物心が着いてからは心の中でいつも自分は「余分な添え物」だという思いを消すことはできなかった。
ただ、注目されないことにはそれなりに利点もある。
兄や姉たちと違い、杏は幼い時から好きなことを好きなだけ学ぶことが可能だった。
習い事も、勉強も、他人に強制されたことは一度もなく、友人関係に干渉されることもない。ひとたび何か問題が起これば姉たちが、そして穣が矢面に立ち、彼女を庇ってくれる。小学生になる頃にはその気楽さに気付き、自分はこのままずっとこういう生活をしていけばよいのだと思うようになっていた。
それから数年の間は、杏の人生にとってある意味一番楽しくて幸せな時間だったように思う。
そう、あの痛ましい事故で家族の行く末に暗雲が立ち込めるまでは、彼女はこの世には楽しいことしかないと信じていたのだから。

そんな内向きの気持ちでぼんやりしていると、突然周囲に拍手が起こり、煩わしいほど明るいスポットライトの光が再びこちらに向かって降り注いできた。
いつも間にか、主賓の一人の祝辞が終わったのだ。
杏も慌てて拍手をしながら、井川と共に会釈をする。
正直なところ、一体この人が何の話をしたのかなどか全く覚えていないのだが、それを言っても仕方がない。ただ、笑みを取り繕い、幸せそうな様子をアピールすることが、忘れてはならない今の彼女に課せられた使命なのだ。



数時間後。
長時間に及ぶ披露宴に疲労困憊しながらも何とかその場を乗り切った杏は、控室で係の人にドレスを脱がせてもらっていた。
3度のお色直しで退席した時以外、着慣れない衣装でずっと座り続けていたせいか、肩がカチカチに凝り、踵の高い靴での慣れない姿勢がたたって腰や背中がぎしぎし軋んでいる。きつく結っていた髪を解き、持って来た服に着替えた彼女はそこでやっと一息つけた。

今夜はこのまま新居に戻り、明日からは通常通りの生活をはじめることになっている。多忙を極める彼のスケジュールの関係で、ハネムーンは当分お預けの予定だ。
しかし、帰る準備をしながら持って来た私物をまとめていた杏は、次第に自分が披露宴に臨んだ時とは異なる緊張感に包まれてくるのを感じていた。
帰るのは実家の敷地内で、少し前から彼女が生活している場所だが、朝出てきたときと決定的に違うのは、今日からそこで寝起きするのは自分だけではないということだ。今夜からは夫となった井川も一緒に暮らすことになる。
今日の結婚式が終わるまで、井川と彼女はまったく別々に生活をしていた。
数か月前まで柚季が使っていた離れは全面リフォーム済みで、新居にはすでに彼の荷物が運び込まれて久しいが、けじめとしてそうしたいと言い出したのは実は杏の方からだ。
いくら十年以上前から知っている人物とはいえ、つい先日までは赤の他人だった井川に、これからは妻としてどう向き合えばよいのか覚悟を決める猶予が欲しかったのだ。
だが結局何の決意もできないまま、今日という日を迎えてしまった彼女は、この後のことを考えただけで動悸がおさまらなくなった。
今までずっと井川だけを見てきた杏は、もちろん男性と交際した経験などまったくない。彼との年齢差を考えても、今夜自分の経験不足を露呈してしまうことは避けられず、彼女にはそれが恥ずかしく、また苦痛にも感じられた。
帰りの車の後部座席に並んで座った井川が、そんな彼女の思い詰めた表情を見て取り、密かに苦笑いをしていたのにも気づけないほど、杏は緊張していたのだ。




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