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Chapter V

   躊躇いのラプンツェル  12


それからしばらくの間、家族は葬儀関係の準備に追われた。
その週末に近親者だけで密葬を終えたが、その後の本葬にあたる社葬では知人や遠縁の親族たちへの対応も必要となる。夫の死の衝撃で物事がおぼつかない母親に代わって主にその役を担ったのは他ならぬ杏だった。同様にグループ会社や取引先との調整については井川が一手に引き受けることとなり、ふたりはそれぞれの対応に忙殺された。

もちろん、長女の柚季も実家に泊まり込んで雑事を手伝ってはくれたが、何分にも彼女は妊娠中の身で体に負担がかかり疲れやすくなっているから無理はさせられない。一方、次女の梨果は妹に乞われたこともあり、しばらく仕事を休んで実家と自宅を毎日往復しながら残された家族への遺産関係の煩雑な手続きを一手に担ってくれた。
ただ、できるだけ表には出たくないという彼女の意向もあり、最終的にそれらを認証する役目は杏のところに回ってくる。それでも姉妹がそれぞれのできることを精一杯こなしていくことで、かつて皆で一つ屋根の下に暮らしていた頃の連帯感がよみがえってきたように思えたのは彼女だけではないはずだ。

姉たちのそれぞれの伴侶も割り振られた役目をきっちりとこなしてくれている。
神保は柚季の身を気遣いながらも井川と連携して社葬に向けての段取りに奔走していたし、一真は梨果や杏たちの足としてあちらこちらに走り回りながら、自らの叔母も巻き込んで未だショック状態を抜け出せない姉妹の母親を支え続けた。


「んー、しかし杏がこんなに実務っぽいことをさくさく熟せるとは知らなかったな」
今は亡き父親の書斎で相続関係の書類をチェックし終え、姉妹で一息ついていた時のことだ。
柚季の淹れてくれた紅茶を飲みながら梨果が感慨深げに呟いた。
「あの、おちびさんだった杏がねぇ。書類捌きの速さなんて見ていても感心するくらい」
一緒にソファーに座った柚季もそう言って頷く。
「だてに2年も秘書をやってたわけじゃないって、やっと気づいてくれたのね」
杏はわざと大げさに胸を張ってそんな姉たちを眺める。
「だって、私の中ではあなたは中学のセーラー服を着た小さな女の子のイメージしかなかったのよ。それがいつの間にかしっかりした大人の女性になって、その上実務レベルでも追い越されちゃったなんて、何かショック」
梨果の言葉に杏は少しはにかんだように笑う。
「そういえば、梨果姉さまってここに来たのは10年以上ぶりでしょう?」
「そうね。高校を卒業してからはこの家自体に寄りつかなかったからね」
梨果は手にしていたカップをテーブルに置くとぐるりと室内を見回した。
「確か最後に入ったのは、高校を卒業する直前だったな。あの時はすごい口論になっちゃって。たまたまここに居合わせた井川さんが仲裁に入ってくれたけど、私もあの人も、それくらいじゃもうどうにも止まらなくてね。結局は私が啖呵を切ってこの部屋を飛び出したっけ」
もう思い出したくもないけれど、と梨果が最後に付け加える。
「いいなぁ……」
「何がよ?」
小声でぽつりと呟いた杏を梨果が訝しげに見る。
「私にはそんなこと一度もなかった」
それを聞いた柚季と梨果は顔を見合わせた。
「だって、私、お父様とあんまり話をした記憶がないもの。もちろん、そんな風に怒られたことはないけど、褒められたこともないし」
三姉妹のうち上の二人は比較的年が近いせいか団結力が強く、昔から一緒につるんでは悪戯を仕出かして父親に叱責された記憶を共有する。しかし杏は彼女たちと一緒に何かをしたことがほとんどなかったし、兄の穣ともそういったチャンスに恵まれなかった。
特に生まれながらに双子の兄の陰に隠れる形になってしまった杏は姉妹の中でも存在感が薄く、父親と触れ合う機会そのものがほとんどなかったといっても過言ではないだろう。

「こんな嫌な記憶、ないに越したことはないわよ」
梨果は苦い笑いを浮かべると両手を上げてこの話を打ち切ろうとした。だが、杏は小さく首を振ると寂しげな表情で呟いた。
「でも、今も時々考えるの。私って何のためにこの家に生まれてきたんだろうって」

病院で梨果の話を立ち聞きして以来、杏の頭の中からはその疑問が離れない。
父親の期待を一身に集めていた穣や母親の自慢の娘だった柚季、そして強い意志を持って自立を果たし、最後には父親をもねじ伏せた梨果に比べ、自分は何と至らない中途半端な存在なのか。
姉たちや兄が次々と家から去り、選択肢が消えることで、最後に残った彼女が家を継ぐことにはなったが、もしそれがなければ今頃自分はどのような立場に追い込まれていたのかを考えると「棚ぼた」などと笑うことはできなかった。
「うーん、そうね。強いて言えばボルトのナット役かな」
思い詰めた顔をしている杏にそう答えたのは梨果だ。
「ナットって……あの六角形のねじ止め?」
そう言って杏より先に梨果の言葉に反応したのは柚季だった。
「そう、そのナット。生まれた時には穣が……主役であるボルトの役目が一緒だったから、目立たない後ろ側の押さえでしかなかった。そうでしょう?」
杏と柚季は梨果の言いたいことが今一つ理解できず。首を傾げる。
「でもナットがないとボルトって存外役には立たないのよ。放っておくとどこかでストンと抜け落ちてしまうから。穣も押さえになる杏がいたから何とか頑張っていたし、妹を護らないと、って気を張っていられたと思うのよ」
生まれた時から後継者として扱われることで、彼が否応なしに重圧を感じていたことを梨果は知っていた。
姉の目から見てもまだ幼い弟にかかるプレッシャーはかわいそうなくらいで、梨果が将来の進路として彼と会社を支えることを視野に入れていたのはそのせいでもあった。
「今は井川さんがそのボルト役として会社をまとめているみたいだけれど、杏は見えないところでその彼の首根っこをしっかりがっちりつかんで締めつけているってことよ」
「首根っこを締めつけるって……」
何とも物騒なたとえに柚季と顔を見合わせた杏は苦笑いしたが、同時に姉の言葉を嬉しくも思った。

姉はこの例えを持ち出して、暗にこう言ってくれたように思えたのだ。
例え目立たなくても、世の中にはなくてはならないものがある。そして今のこの家には杏の存在がどうしても不可欠なのだ。決して彼女は不必要な人間などではなかった。必要だからこそ、ここに生まれて来たのだ、と。




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