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Chapter U

   スリーピングビューティーの憂鬱  22


カーテンの隙間から差し込む日差しが部屋に新しい朝を運んでくる。
目覚めた時、誰かの温もりがすぐ側にある。最初は戸惑った、そんなことにもやっと慣れてきたような気がするこの頃だ。
その朝も軽やかな目覚ましの音に起床時刻を告げられた柚季は、まだ半分眠ったままの頭で起き出そうとしたが、すぐに体に巻きついてきた腕にベッドの中へと引き戻された。
「きゃっ」
「おはよう」
まだ眠たげな声が抱き寄せられた頭の上の方からくぐもった響きで聞こえてくる。
柚季は慌ててもがきながら脱出しようと試みるが、絡みついた腕はなかなか緩めてもらえない。
「そろそろ起きないと」
「もう少しくらい、いいだろう」
「ダメです。朝ごはんが間に合わなくなってしまいます」
そう言って何とかベッドから這い出した柚季が振り返ると、パジャマのズボンだけを身に着けた彼は肘で頭を支えた格好でじっとこちらを見ていた。昨夜の余韻を残した気だるげな眼差しに気付いた彼女は、どぎまぎしながら上半身裸の彼から目を逸らす。
新しい生活が生み出した変化の大概のことには馴染んだ彼女だが、毎朝のように繰り返されるこの光景にだけははなかなか慣れることができないのは困ったものだ。
「あ、朝ごはんの準備をしておきますから、支度をしたら来てくださいね」
「分かった」
そんなやり取りの後、寝乱れた髪をかきあげながら軽く伸びをしている神保をベッドに残し、柚季は今朝もドキドキする胸を押さえながら急いで着替えをするためにクローゼットへと向かったのだった。


神保と彼女が籍を入れ、晴れて夫婦として一緒に暮らし始めたのは、柚季が仕事を辞めてしばらく経ったふた月ほど前のことだ。
ただ二人はまだ式を挙げていない。というのも、末の妹の杏の結婚式が今からひと月後に迫っているせいだ。だが、どちらにしても柚季はもう実家がかりの大がかりな式や豪華な披露宴をするつもりはなかった。
柚季にしてみれば今回が二度目の結婚ということもあるし、神保が桐島の会社とは縁が薄く、周囲にわざわざ顔見世のようなことをする必要がないということもある。それに大体あんな風に大勢の人の前で見世物になるのは一生に一度でたくさんだ。
そんな柚季の希望を受け入れる形で、杏の式後に周囲が落ち着いた頃を見計らって、近しい身内と友人だけを招いての簡素な式を計画している。
しかしながら、自分は再婚だが神保は初婚だ。
それに自分たちの勝手でそんなことをするのは彼の両親にも申し訳がないような気がした柚季だったが、神保は全面的に彼女の思いを尊重すると言ってくれた。
そして神保の両親も、一生独身かと半ばあきらめかけていた息子がやっと連れてきた結婚相手に手放しの喜びようで、二人の良いようにしたらいいと言ってくれたことが柚季には何よりもありがたかった。


まだどこにも一緒に出たことがない二人だが、来月行われる予定の杏の結婚式で、神保には自分の夫として共に参列してもらうことになる。その時が夫婦として公の場に出る初めての機会となるが、すでに二人が籍を入れたという噂はかなり広まっていて、出かけた先で会った人に幾人も祝いの言葉を掛けられた。
もちろん、純粋な祝福だけでなく、中には多少なりとも悪意を感じることや、興味本位で冷やかし半分の言葉を投げかけられることもある。
前の時にはまだ若く、経験もなかったせいでそうなると浮足立ってしまい、どうすればよいのか分からずパニックに陥ったこともあった柚季だが、さすがに三十路過ぎた今では落ち着いたもので、優雅な笑みを浮かべながらそれらにも慇懃な礼を返すことができるようになった。

人間、ある程度の年を得て、場数を踏めばどうにかなるものね。
人前に出ることが極端に苦手で内向的だった過去の自分を振り返りながら、今の自分の図太さに思わず苦笑いする。
その確かな後ろ盾になっているのが、神保が注いでくれる愛情と信頼であることは疑いようがない。自らの殻に閉じこもっていた自分を半ば強引に、再び日の当たる場所へと引っ張り出してくれた夫には感謝してもしきれないと彼女は思っている。
だからこそ、自分の感情を表すことさえ怖くてたまらなかった柚季が、今では彼に「愛している」と伝えることに純粋な喜びさえ覚えるのだ。
かつて愛した人に裏切られたことで氷のように凍てついていた柚季の心は今、神保の愛情を一身に受けることで春の暖かさに目覚めたかのように穏やかに、しなやかに彼女の中を満たしている。
そしてもう一つ。
柚季は少し前から自分の中のある変化に気付いていた。
それはまだ自分にしか分からない、ほんの小さな予感だが、彼女にとっては世界が変わるほど大きな意味を持つことになる。
今の彼女にはその変化が楽しみで、待ち遠しくてたまらなかった。

流し台の前に立ち、ぼんやりとそんなことを考えていた柚季は、身支度を整えた神保がリビングに姿を現したのを見て慌てて朝食の準備を再開する。
コーヒーを取りにキッチンに入って来た神保に後ろから抱きしめられ、軽い口づけを受けた彼女は、夫の胸に背中を預け、微笑みながら囁いた。

「あのね、あなた。実はね……」


≪ ChapterU 完 ≫


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