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Chapter U

   スリーピングビューティーの憂鬱  15


こんなはずではなかった。
柚季は事あるごとにそう思う。
自分が抱いていた未来の予想図では、今頃は家族が増えて賑やかに過ごしているはずだった。
『子供は2人か3人くらい欲しいな』
新婚当時は哲哉ともそんな話をしていた時期があったのだ。
自分の傍らに愛する夫がいて、可愛い子供たちがいる平凡な生活……そんなありきたりな毎日を手に入れることがこんなにも難しいことだなんて、その頃には夢にも思わなかった。
それが叶わないのならば、というわけではないが、今でもふとした時に思うのだ。
自分が心から愛情を注げる「誰か」が欲しい、と。
かつては妹たちに向いていたそれは彼女たちの成長と共に不要となり、自分も結果に満足してその役目を終えたはずだった。しかし、次に結婚後、同じように夫に向けた気持ちは受け入れらえることさえなく、悉くはねつけられたことで柚季の心は深く傷ついていた。
だから彼女は愛情を向けた相手が再び自分を否定することを恐れているのだ。
その自覚がある柚季は、自分の臆病さに心の中で苦笑する。
この前の騒ぎの時だって、もしも本当に梨果が妊娠していて、その子を育てられないというのならば、自分が妹の子供を引き取って育てたいと思った。
たとえ甥姪であっても、我が子同然に大切に、十分な愛情を注いで育てていく自信はある。それに加えて幸か不幸か、経済的にも恵まれた環境にある彼女は子育ての間も先行きのことを悩むことがなく、日々の糧を誰かに頼る必要もない。
自分の存在を否定できない子供が相手なら心の隙間が埋められるなんて考えること自体、卑屈で他人の目には浅ましく写るかもしれないが、そう思われるならそれでも構わなかった。
それと引き換えに得た存在が自分を裏切らないならば、そして無条件に受け入れてくれるのならば、どんな謗りにも耐えられる。
それが柚季の偽らざる気持ちだ。

そんなことまで考えるなら、今度は本当に愛する男性と再婚して家族を持てばよいではないかと言われるかもしれないが、彼女はもう、結婚はおろか誰かを好きになりたいとさえ思えなかった。
自分には異性を繋ぎとめるような魅力などないと信じている柚季は、これ以上自身の存在を否定されるような危険を冒す勇気が持てない。だから多くの女性たちと同じように愛情を注がれることを夢見ていた希望を心の奥底に封印し、決して誰にもそれを見せようとはしないのだ。
哲哉との結婚生活で受けた心の傷はそれほどまでに深く、今もなお、見えないところで柚季を苛んでいる。
それ故に女性としての気持ちを心の中で凍りつかせ、眠らせてしまうことでしか自分を守ることができない情けなさを歯がゆく思いながらも、その衝動をを力ずくで引きずり出しかねない神保に惹かれてしまう自分が怖かった。
不用意に近づき過ぎた彼の魅力に抗えなくなる前に、少し距離を置いておきたいという無意識の拒絶が彼女の中に芽生えるのは当然の成り行きだ。

「ずっと子供が欲しいと思っていたけど、結局一度も授からなかった。だから私には縁がないのかもしれないと諦めているの。もし万が一にもそうなったとしたら、これ以上ないくらいありがたいことだと思うわ」
その可能性はあまりないと思うけれど。
そう続ける柚季に、神保が畳み掛けるように口をはさむ。
「ならば私は何をすればいい?君は私に何を望んでいるんだ?」
「何も」
「何も?」
鸚鵡返しに問う彼をまっすぐに見ることができず、柚季は俯いて唇を噛んだ。
「ええ。何も望むことはありません。ただ私を放っておいて下さい。それだけです」
側にいるとそれだけで惹きつけられてしまう。
神保はそういう危険なオーラを持った男だ。
彼の姿を見なければ、声を聞いたりしなければそんな迷いに心を乱されることもない。そう自分に言い聞かせて、柚季は無駄な抵抗と知りながら彼の存在を否定しようと試みた。
神保は生まれながらに世間一般でいうところのステイタスを持っているだけでなく、本人自身の実力も兼ね備えている。恵まれた条件の彼には、私生活のパートナーになりたいと願う相手も引く手数多だろう。よりによって自分のような者を選ばなくても、この先彼の隣りに並びたい女性はいくらでも現れてくるに違いない。
「それはできない相談だな」
だが、それを聞いた神保は表情一つ変えることなく彼女の望みを一蹴する。
「君はそれでよくても私は納得しない。君は男の執着心というものを理解していないようだね」
驚いた顔をする柚季の顎を捕えると、神保はしっかりと彼女の瞳に自分の視線を合わせる。
「男は自分が気に入ったものを簡単には手放さない。私も君が思っている以上に欲望には貪欲な男ということだ」




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