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Chapter U

   スリーピングビューティーの憂鬱  1


窓の外には、早春の庭園。
そこはまるで童話にでてくるお城の庭のような風景が広がっている。

ホテルのロビーにある喫茶室で、ポットに入った紅茶が出来上がるのを知らせる砂時計が落ちるのを待ちながら、柚季は広がる景色をぼんやりと見つめていた。
そういえば、子供の頃によく読んだおとぎ話に出てくるお姫様には必ず素敵な王子様が現れて、二人は末永く幸せに暮らしました、で結ばれるものが多かった。
だからずっと彼女も夢見ていたのだ。
いつかきっと自分にもそんな理想の相手が現れると。

女性ならだれでも一度は思い描いたことがあるだろう、突然の王子様の出現とハッピーエンドな物語の結末。
柚季の結婚はまさにその典型だった。
元夫の前田哲哉と柚季は彼女が大学在学中に見合いをし、そのまま婚約。柚季の卒業を待って挙式した。
出会った当時、柚季は21歳、対する相手の哲哉は25歳。4歳の年の差は彼を理想的な大人の男として意識させるには十分なものだったと思う。
女性に対してのスマートなあしらいや洗練された所作。同年代の男子学生とは違い、社会人の落ち着きが頼もしく見えた柚季は、見合いの席ですっかり彼に逆上せあがってしまった。
自分がその年齢をはるかに超える年になった今になって改めて振り返れば、冷静過ぎる彼の態度は柚季に対する興味のなさからくるもので、その後の言動の端々に諦観と妥協を見い出せたのかもしれない。だが、悲しいかなその当時の彼女にはそこまでの深慮はなかった。

とんとん拍子に進んだ婚約に、桐島と前田、双方の会社の利害が絡んでいたことは薄々感じていた柚季だったが、何分にも哲哉しか目に入らなくなっていた当時の彼女にはそんなことは問題にならなかった。
恋は盲目を地でいく柚季の言動に危惧を抱いていた妹の梨果の言葉さえ聞く耳を持たなかったといっても過言ではないのだから。

両家の関係者を招いての絢爛豪華な披露宴とヨーロッパを巡る2週間にも及ぶ贅沢なハネムーン。新居は夫の実家が都内に高価なマンションを用意してくれた。
こうして始まった彼女の結婚生活は傍目には誰もが羨むほどに恵まれたものだったが、一皮むけば紛うことなき茶番だった。
いつの間にか落ち切っていた砂時計に気付いた柚季は、慌てて空のカップに紅茶を注いだが、すでに紅茶は濃くなり過ぎて剰え濁りまで出てしまっている。
それを見た彼女はため息をついた。
この紅茶は、まるですっきりしない今の自分の気持ちのようだ。
そんなことを考えながら、柚季は紅茶の入ったカップに手をつけることなく再び窓の外に目を向ける。

元夫の哲哉とそこで暮らしたのは実質2年ほど。
その後は長きにわたる別居生活を経て、5年前に離婚が成立したのを機に実家に戻っている。
直接の離婚理由は元夫の不貞。
とはいうものの、哲哉の不倫相手は彼が柚季と結婚する前から関係があったと聞く。
家のつり合いで宛がわれた妻との結婚生活に馴染めなかった彼は、一旦別れた元恋人とよりを戻し、心身ともにそちらに傾いた。
公の場では桐島の娘である柚季を妻として扱いながら、彼の関心が彼女自身に向いていたことはほとんどなかったといってもいいだろう。
それに気づかず、彼の妻として持て囃されることで満足していた柚季は、哲哉の気持ちが離れていく理由が分からなかった。だから悩んだのだ、自分のどこがいけないのか、何がいけなかったのかと。最初から自分に与えられていないものをいくら探しても答えなど見つかるはずがないのに。
彼の見せかけの優しさに彩られた打算を見抜けなかった自分がどれだけ稚拙だったのかは、今では自身が一番よく分かっている。

結局幸せな結婚を夢見る女の子だったのよねぇ、私も。

柚季は自嘲の笑みを浮かべながら目の前の冷めかけた紅茶を口にして、その渋味に顔を顰めた。
別居期間も含めると5年近くに及ぶ結婚生活の幕切れはひどいものだった。
その最たるものは、離婚に合意した当事者たちを差し置いて、必要以上に揉めた双方の家と会社だ。
桐島側は結婚生活の破綻の原因に元夫の不貞をあげ、分不相応なまでの補償を譲歩を求めたし、婚家であった前田側はできるだけそれを飲まされまいと抵抗を重ねた。表だっては円満に離婚が成立したように思われているようだが、その水面下ではどろどろした醜い駆け引きが行われていたのだ。
少しでも自分たち側に有利な材料を探しだそうと、柚季たちが表沙汰にしたくなかったことまで次々にほじくり出して来る弁護士たちに、彼女も元夫もどれだけ不快な思いをしたことだろうか。それを思い出しただけで、今でも嫌な気分になる。
結婚生活のスタートがあまりにも恵まれすぎていたから、その反動のような離婚劇の幕切れが、世間知らずだった彼女には心底こたえたのだ。
当分は何も考えたくないし、何もしたくない。
鷹揚な性格の彼女が、そんな風に厭世的になるくらいに。

「世の中そんなに甘くない……か」
柚季はぼんやりと外を見つめながら小さく呟いた。
どれだけ言葉を繕ってみたところで、彼女が夫に裏切られ、捨てられたことには変わりない。悲しいかな、そのことで自分の女としてのプライドを損ね、未だその衝撃から立ち直れないでいる。
「もう要らないわ、王子様も幸せな結末も」
望んでも、きっと自分には縁のないものだから。
柚季は紅茶を飲むことを諦め、物思いに耽りながらじっと庭の緑を眺めていた。
そんな彼女を見つめる強く熱い視線に気づかないままで。




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