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Chapter T

シンデレラは眠れない  8


壁際に置かれた重厚な洋服ダンスと整理ダンス。それに幅広の鏡がついたドレッサー。
確かに一昨日まで、この部屋にこんなものはなかったはずだ。それがどういうわけか今は一目で高級品と分かる大型の家具が室内に溢れ返っている。
梨果はクローゼットを開け、その中に自分のものではない見慣れない服を見つけると、次々にタンスの引き出しを開けて回った。そこには新品の下着や洋服や小物、それに着物が入っていると思われる、たとう紙などがぎっしりと詰め込まれていたのだ。
それらを見た梨果の表情が俄かに曇る。
「ねぇ、これ、こんなものいつの間に入れたの?」
入口のドアにもたれ、その一部始終を見ていた一真に彼女が詰め寄る。
「昨日の日中だ。俺の叔母と君のところのお袋さんが来たらしい。前日の夜に、家の鍵を貸せって連絡があった」
それを聞いた梨果は派手に舌打ちするとため息をついた。
「まったく余計なことを」
これのせいで入口のわきにダンボールが積まれていたのだ。
そう気づいた彼女は一真を押し退けて玄関に戻ると、そこにあった箱をいくつか掴んだ。
「ねぇ、ここにガムテープある?」
「あるにはあるが。何をするつもりだ?」
「決まっているじゃない。これを全部詰めて送り返すのよ」
「送り返すって、お前……」
「ちゃんと言っておいたわよね。この結婚にウチの実家はタッチさせないって」
梨果は畳まれたダンボールを手際よく広げると、彼に持って来させたガムテープでそれらを止めた。
5つほどの箱を組み立てたところで、彼女は開きっぱなしになっていた引き出しから衣類を取り出してはそのまま無造作に中に放り込み始め、一杯になると封をする作業を繰り返した。
「いいのか?」
「何が?」
「お前、これは実家の親からの支度品だろう。こんな風に扱っても……」
「構わないわよ。もともとこれは私がもらう筋合いのものじゃないんだし」
梨果はそう答えると、後は箱を作っては荷を詰めるという作業を黙々と続け、タンスやクローゼットに掛けてあったスーツやワンピース、それにコートなども軽く半分に折っては箱の中に放り込んでいく。
一真が見ても高級品と分かる品や、着物やドレスなどに対しても、彼女は手を止めてじっくり見ることさえしない。
すぐにダンボールは十個くらいになり、大きな家具のせいでただでさえ狭くなっていた部屋が茶色い箱に埋め尽くされる。
最後にルイ・ヴィトンやエルメスといったブランド物のバッグを、箱に入れることさえせず無造作にダンボールに押し込むと、梨果はさっさとガムテープでその口に封をした。
「やれやれ。あとはこの家具よね。送り返すのも大変だからリサイクル業者にでも引き取ってもらおうかしら」
軽く手を叩きながら清々とした表情をしている梨果を見て、さすがの一真も眉を顰めた。
「せっかくお袋さんたちが準備してくれたっていうのに、いくらなんでもそれはないんじゃないか?」
彼の非難がましい視線を浴びても、梨果は怯むどころかどころかツンと顎をあげて反抗的な態度を崩さない。
「あの家に干渉されるのは嫌なのよ。手も口も出されるのは一切御免だわ」
「しかしなぁ、仮にもこれは親の心遣いだぞ。それをこの扱いか?」
一真は梨果の様子を見て首を傾げたくなった。見合いの後に話しをした時から彼女が実家である桐島家に対して何だかの蟠りを持っていることに薄々気が付いていた。姉妹と梨果は比較的仲が良く、行き来もしているようだが、まだ自分が一度も会ったことがない彼女の両親、特に父親とはここ十年くらいは話どころか顔も合わせていないと聞く。
普通は余程のことがない限り、ここまで自分の生まれ育った家や両親との関わり合いを徹底的に拒むようなことはしないだろう。自分の実姉が結婚後も実家の両親にべったりなのを見ている一真には、梨果の言動が奇妙でさえあった。
「桐島は一応お前の実家だろう。一体何があったんだ?俺だって結婚した以上は妻の実家のことをまったく何も知りませんで済む話じゃない」
「いいから放っておいて。見ず知らずの赤の他人のあなたに余計な詮索をされたくない。とにかく私はこれからも桐島とは関わり合いたくないの」
梨果は荒い口調でそう言うと唇を噛み、それ以上は何も語ろうとはしない。
その頑なな態度に、一真は彼女の口から情報を引き出すことを諦め、とりあえず一旦引くことにした。
「その荷物、本当に送り返すのか?」
頷く梨果を見た彼は仕方がないと肩を竦める。
「分かった。これだけ大量にあれば持ち込むのは大変だから、業者に集荷に来てもらうよう連絡を入れておく。俺は向こうの部屋で出かけるまで仕事をするよ。お前はもう少しここを片づけるんだろう?」
再び無言で頷く彼女の頭をくしゃりと撫でると、一真は部屋を出て行こうとした。
「あ、あの……」
呼び止められたように思えて振り返ると梨果はまだ俯いたままだ。
「どうした?」
「あ、ご、めんなさい。私、あなたのこと見ず知らずの赤の他人なんて言っちゃって……」
その声に滲む殊勝を感じた一真は、思わずふっと引き結んでいた唇を緩めた。
「まぁ、仕方がないさ。一週間前までは本当にそうだったんだから。これから少しずつ慣れていくしかないよ」
その言葉に彼女が三度小さく頷いたのを見届けると、彼は再び踵を返し、奥のリビングへと向かったのだった。
ダイニングと一体になった広いリビングの一角を使い、彼女に明け渡した部屋に置いてあったライティングデスクやOA器機、それにスライド式の書棚などを据えて彼用の仮の書斎コーナーを作ってある。一真はそこの椅子に腰かけると、デスクの引き出しから一枚のメモを取り出した。
そこに書かれていたのは、一昨日叔母が連絡をくれた際に一緒に教えてくれた、桐島柚季……梨果の姉の携帯番号だ。
梨果と姉は年が近いせいか特に仲が良く、時々二人で会っていると聞いている。そういえば、見合いの席にも彼女の母親ではなく姉が付き添いに来ていたことを思い出す。
梨果の今の様子から見ても、本人から無理矢理事情を聞きだそうとすれば、余計に意固地になってしまいそうに思える。この状況に至るまでには何だかの複雑な家庭の事情があったことは間違いない。これから先、娘婿として彼女の実家とも接していかなくてはならない一真としては、ある程度はそのことを知っておく必要があった。
「こちら側から攻めてみるか」
彼は梨果のいる部屋の気配を伺い、用心深くリビングのドアを閉めると、ポケットから携帯を取り出した。
「あ、突然すみません。私は園田と申しますが、桐島柚季さんでしょうか?はい、そうです。梨果の……ええ、叔母から連絡先を聞きまして。先日はどうも失礼いたしました。すみません、ちょっと折り入って伺いたことがあるんですが。ええ、そうです。彼女の……梨果のことについてです」




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