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Chapter T

シンデレラは眠れない  6


「な、何でまた私なんかと?」
「そのタフさが気に入った。今のご時世、お前はみたいなタイプの女はなかなかいないからな」
なぜか楽しげにそう言うと、園田はカップの底に残っていたコーヒーを口に運ぶ。
「でもあなた、家にいてくれる奥さんがいいんでしょう?」
「もちろん」
「だったら……」
「俺は来年度の一年間は国内勤務が確定している。平たく言えば、再来年の三月まではこちらをベースにして海外に出ることになる。つまり、その間家族はこっちに置いておけるってことだ」
彼の言わんとすることを理解しきれない梨果が、小さく首を傾げる。
「それで?」
「その間一緒に生活してみるっていうのはどうだ?そのうちお前の気が変わる可能性だって……」
「ないない、絶対にない!」
「まぁ、黙って話を聞けよ」
不服そうな梨果を尻目に、園田は顔を顰めながら窮屈そうに曲げていた足を組み直した。なまじガタイが良いせいか、ファーストフード店の小さなテーブルとイスでは彼の体を楽に収められないようだ。
「どうせこの話を断っても次が来る。ウチの親や叔母さんといい、お前のところの親といい、諦めが悪そうだからな。だったらここらで手を打って、共同戦線を張ろうじゃないか」
「共同戦線?」
梨果の鸚鵡返しに彼が頷く。
「お前、最初から結婚に夢なんて持っていないだろう?だったら結婚をビジネスと同様に割り切って考えればいいんじゃないか」
「ビジネスと同様にって、どういうこと?」
「互いの条件を提示して妥協点を突き詰める。そして合意に至れば契約成立。その後は速やかに条項を履行する。商談の基本中の基本だ」
彼があっさり言うといとも簡単なことに聞こえるが、考えてみればかなり際どい話ではある。それではまるでドラマとかにありがちな、契約結婚ではないか。
「あのね、結婚ってそんなにお手軽なものじゃないでしょう?第一結婚したら基本、衣食住を……住むところや食べることなんかも共有しなきゃいけなくなるのよ」
「ついでにベッドもな」
いけしゃぁしゃぁと言ってのける男の厚顔無恥さに、なぜか梨果の頬が赤く染まった。
「そ、それは」
「お互いにいい年した大人だし、そこを抜いて考えるのはヤボってものだろう。俺は普通に健康な心身を持った男で、お前は若い女なんだから」
確かに梨果は結婚に夢なんて持っていない。しかしここまであからさまなことを言われると、反抗心が首を擡げるから不思議だ。
「でもそんな、すっ好きでもない男といきなりセッ……」
「おっと、ストップ!ここではそんな言葉を使わない方がいいぞ」
彼の指先で唇を塞がれた梨果は、目を剥きつつもはっとした顔をする。
そうだった。ここは土曜日の昼下がりに親子連れが屯するファーストフード店。
この長閑な情景の一角で、彼女はもう少しで「男とセックス」と大声で叫びそうになっていた。
ヤバい。
いくら女として枯れかかっているとはいえ、最低限の慎みくらいは維持しなければ、長い人生これから先がやって行かれない。色気がないのと節度を失うのはまったく別の次元の問題だ。
我に返った彼女に、今度は園田が身を乗り出し顔を近づけてくる。
「民法の規定にもあるだろう?夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならないって条項が。もちろん貞操の義務だってある。まぁ、結婚っていうもの自体『これからはお互いに配偶者としかヤリません』って世間に向かって宣言するようなものだからな」
声を潜めたとはいえ、際どいことを言う彼の顔を力いっぱい手のひらで押し返した。
「何かあなたがいうと、何でもかんでもやらしく聞こえるんだけど」
軽蔑の眼差しを向けられても腹を立てるでもなく、園田は平然と彼女を見据えている。
「どうだ、試してみないか?」

思ってもみなかった園田の提案に、梨果にしては珍しく返事を躊躇った。拒否すれば彼はこれ以上の無理強いをしないだろうが、その一言がどうしても口から出て来ない。
物事の是非がはっきりしている彼女のことだ。本当に嫌な相手なら、そんなことを言われた途端に速攻で拒否している。それができないのは、自分の中に迷いがあることを自覚しているからだ。
おかしなもので、出会ってからまだほんの一時間ほどしか経っていないというのに、目の前の園田と言う男の潔いまでにあっさりとした人となりは何となく理解できた。彼のような男性は、自分の父親と違って彼女を支配下に置くために裏で画策する感じではない。どちらかと正面から堂々と服従を求め、従わないなら勝負を挑んでくるタイプのように思えた。
「まぁこれからも留守がちになるのは間違いないが、こっちに居る間はたっぷり可愛がって満足させてやる自信はあるぞ」
何について言っているのかは、聞き返さずともそのにやり笑いを見れば分かる。
「あなたねぇ、真っ昼間から何考えているのよ」
「仕方がないだろう。男は下半身で物事を考える。っていうか、反応したお前だって真っ先にそっちを想像したんだろう?似たようなもんじゃないのか」
それを聞いた梨果は一瞬しかめっ面を作ったが、しれっとした顔の園田とにらめっこをしているうちに我慢しきれず吹き出した。
「まぁ、否定はしないわ」
こういう微妙にオレ様でスケベったらしいところも、ここまで開けっ広げだと鼻に突かず、笑って受け流せるから不思議だ。
先の問いに即答せず逡巡した様子を見せた梨果に勝機があると踏んだのか、彼は唆すような表情で、重ねて挑戦的な言葉を投げかけてきた。
「それとも何か、やっぱりお前も一端に結婚には惚れた腫れたの恋愛感情がなくっちゃ嫌だとでも言うのか?」
その問いに対して梨果ははっきりと、即座に言葉を返した。
「それはないわ」
「なら問題ないな」
「でも……」
正直に言えば、梨果は迷っていた。
ついさっきまで、「一生結婚なんてしない」と思い、また公言していた自分が、その舌の根も乾かないうちに「それでは結婚しましょう」とは言い難い。それに何より、ここに来るまで結婚なんてこれっぽっちも考えていなかったのに、今は彼の提案に乗っても良いと思っている自身の心境の変化に戸惑いを覚えていた。
彼女の煮え切らない態度に何を思い至ったのか、園田ははっとしたような顔をする。
「もしかして、誰かいるのか、その……好きな男とか」
それを聞いた梨果は、何を言い出すのかといった顔で首を傾げた。
「いないわよ、そんな人」
最後にそんな感情を抱いてから、どれくらい時間が過ぎただろうか。梨果だって過去には恋人の一人や二人くらいいたこともある。短い間だったが同棲までした男だっていたくらいだ。しかしそれらはすべて、確たる実を結ぶことなくいつの間にか消え失せた。
その原因はタイミングの悪さか、それとも彼女を取り巻く状況のせいなのかは未だ定かではないが、いつも最後の最後で相手のことを信じ切れず、突き放してしまうのは梨果の方で、その結末が自身の性分に寄ることは分かっていた。
彼女の「好き」に一欠けらも嘘はない。それは胸を張って言える。だが、単に「好き」なだけでは彼女の中に巣食うものたち……恋愛や結婚に対する懐疑や束縛への嫌悪を拭い去ることはできない。
それを悟ったからこそ、梨果は一生独身を貫くことを考えたのだから。
「嫌なら嫌で、はっきりと言ってくれ。嫌ではないということなら、話を進めたい。まずは互いの条件を提示して、そこから妥協点を突き詰めるところから始めようと思うが、どうだ?」
彼女に決断を促し、イニシアチブを取らせているように見せかけておいて、その実自分のペースで物事を進めていく。
その話運びの巧みさが、彼の狡猾さであり有能さでもあるのだろうと梨果は思った。

この男(ひと)となら。
恋愛感情を抱くことなく、すべてを割り切って生活を共にすることができるかもしれない。
そう、まるでよくあるビジネスのモデルのひとつのように。

「分かったわ。それじゃどこか場所を移して話を詰めましょう」
気が付けば、彼女は自分の口から驚くような言葉を発していた。
それを聞いた彼は、無言で頷くと空になった容器が乗ったトレーを持って席を立ち、出入り口の方へと向かう。
その後を追いながら、梨果は自分が描いていた未来図が少しずつ変わっていく予感を抱いたのだった。




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