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Chapter T

シンデレラは眠れない  3


姉との約束の日。
案の定と言うか、予想通りというべきか、とにかく仕事は時間通りに終わらず、気が付けば待ち合わせの時間まであと1時間を切っていた。
とりあえず柚季にその旨の連絡は入れたが、目的地まで順調に行っても10分ほどは遅れてしまう計算だ。そのため、梨果はマンションに帰る時間も惜しんで会社からそのまま駅へと直行し、来た電車に駆け込んだ。
朝、家を出る時には一度帰って着替えるつもりだった彼女は、外出用の準備一式、すべて部屋に置いたままだ。
「しまったなぁ」
こんなことなら服と靴だけでも会社に持って来てロッカーに入れておけばよかったと後悔するが、後の祭りだ。
今の彼女いでたちといえば、いつも通勤時に穿いている着古したデニムとセーター、その上から安物のダウンのジャケットを羽織っている。靴も歩きやすいランニングシューズで髪の毛は後ろで一つに括っただけお化粧だって薄らとしかしていない。とても高級ホテルに向かうのに相応しい格好には見えない。
「仕方がないか。忙しいのは知っているんだし。理由を言えば姉さんなら許してくれるよ」
電車が駅に着くと、そのまま階段を駆け上がり、改札を抜けて表に出る。急ぐ彼女は、そこからホテルまで軽いジョギングを決めこんだ。
そして梨果が辿りついたのは、このエリアでも指折りの高級ホテルだった。前回ここに来たのは、確か半年ほど前のことだ。その時も姉がここを指定し、妹とも待ち合わせて姉妹三人で食事を取った場所。ホテル上階のレストランでのディナーに妹と姉は気負いなく食べていたが、梨果には何となく居心地が悪かったことを覚えている。
その時に、姉妹で同じような環境で育とうとも、一度そこから外れてしまうとこんなにまで違いがでてしまうものなのかと、今さらながら我が身の置かれた状況を思い知らされたものだ。
「まぁ、姉さんは生まれてこの方セレブな生活から離れたことがないんだから仕方がないか」
梨果はそびえ立つホテルと今まさにそこに入ろうとしている自分の格好を交互に見ながら、思わず自嘲の笑みを浮かべた。


ロビーを抜け、エレベーターで2階に上がると、姉に指定された喫茶ラウンジは目の前だった。
入口で名前を言うと、すぐに奥の仕切りがある方へと案内される。
何か仰々しいなぁ。
個室、とまではいかないが、それでも可動式のパーテーションで分けられたスペースは、どことなくオープンさに欠けている。
何でまた、わざわざ姉はこんなところを指定したのかと訝しみながらもドアを開けた途端、梨果は中にいた人たちの視線が一斉に自分に集まるのを感じた。
人たち……ですって?
見つめられた梨果は一瞬呆然とその場に立ち尽くした。というのも、そこにいたのは呼び出した張本人の姉だけではなかったからだ。
その向かいには、彼女や姉も旧知の間柄である、母親の友人の真野という女性と見たことのない男性までもが座ってこちらを見ていた。
「梨果、どうしたの?その格好……」
「何なのよ、これ?」
梨果は姉の問いかけを途中で遮り、開口一番、詰問口調でその疑問をぶつけた。
いや、柚季の答えを聞かなくてもこの状況は一目瞭然、「見合い」だ。
「え?だってお母様から話を聞いていると思って」
嘘の吐けない姉の本心から困惑した様子を見ながら、梨果は盛大なため息を漏らした。
「一方的に言って来たわよ。それでそんなものする気はさらさらないって、これ以上ないくらいはっきり言っといたはずだけど」
「そんなこと」
「あるある。あの人たち遂に姉さんまで担ぎ出して、こんな姑息なことをし始めたのね。呆れて物が言えないわ」
梨果はそう言うと、脱力したように姉の隣りにどっかりと腰を下ろした。
「で、あなたがたもそんなウチの親にまんまとはめられたってわけですね。すみません、あんな人たちで」
向かいに座る二人に形ばかり頭を下げた彼女を、その男性は興味深げに見ている。
そこで気を取り直したのか、母親の友人の真野が隣の男性の紹介を始めた。
「ま、とりあえずあなたもここに来たんだから。梨果ちゃん、紹介するわ。こちら、園田一真(そのだ かずま)、私の兄の息子、甥にあたるの。30歳で、商社に勤めていて、今はどこの担当だっけ?」
「中近東ですよ、叔母さん」
「そうそう、アラブの砂漠で石油を買い付けに飛びまわっているのよね」
梨果はあまり興味を引かれない様子で、適当に「そうですか」と相槌を打った。
「私は桐島梨果、29歳。食品加工会社に勤めています、って多分もうご存知ですよね」
自分と違い、状況を理解した上でこの場に臨んでいるのだから、当然それくらいは知っているのだろうという意味を言外に含ませる。
「で、さっきの姉さんの質問の答えだけど。今日も仕事で、ついさっきまで場内作業をやってたの。昼で上がろうと思っていたから服も靴も全部家に置きっぱなし。時間が圧して、着替えに帰る余裕がなかったのよ。それにまさかこんなことが待っているなんて思ってもみなかったしね」
「今日も仕事だった?土曜日なのに」
それまで彼女の話を黙って聞いていた向かいの男性が口を挟んできた。
「ええ。ウチの工場は年末需要に向けて今が一番忙しいんですよ。ここのところみんな休み返上で働いています。製造業ではよくある話です」
「だが、君は事務職だからあまり関係ないんじゃ……」
さもホワイトカラーの人間が言いそうなことだと思いながら、梨果は少しうんざりした顔で答えた。
「ウチみたいに小さな会社にそんな分けはありませんよ。忙しければ営業だろうが事務だろうが、どこでも手伝いに入ります。急ぎなら商品の配達もしますし。でなきゃ会社が回って行かないから」
「そういえばあなた、去年免許も取ったのよね、あれ、何だったかしら?」
柚季がこの前姉妹で会った時に話題にしたことを持ち出してくる。
「ああ、フォークのこと?」
「フォーク?」
「フォークリフト。あれはまぁ、講習を受ければ何とかね。実技が結構しんどかったけど」
バランス感覚が掴めなくて何度かパレットをひっくり返したことを話すと、意外にもその男性、園田は興味を示した。
「梨果ちゃん、あなたそんなことまでしているの?桐島家のお嬢さんが」
それまでその場のやり取りを聞いていた真野が呆れたような声を上げた。
「はい。その他にも手が足りない時にはラインに入って商品のパッケージング作業やゴミ集め……廃棄物の収拾なんかも普通にやっていますよ。仕事ですから」
それを聞いた真野が嫌そうに額を押さえた。
「何も無理してそんなことをしなくても。どこか良いところにお嫁に行けば、苦労なんてしなくて済むんじゃないの」
「で、ウチの母親みたいに夫の腰ぎんちゃくになって、一生へこへこしてろと?」
「梨果!」
聞きとがめる姉の方を見た彼女は、くっと唇を歪めて笑った。
「だって本当のことでしょう?あの人は良い反面教師よ。私はそんな生き方はしたくない。だから結婚なんてしなくてもいい、ううん、したくないのよ。自分の食い扶持さえ自分で稼げれば、それだけで無用の束縛から解放されるんだったら、働くことなんて楽なものよ」
梨果はぐるりと三人を見回してから肩を竦めた。
「ということで、この話はなかったことに。私には結婚の意志はないので。姉さんの用事がこれで終わりなら、今日はもう帰らせてもらうわ」
「ちょっと待って、梨果」
「それじゃ、さよなら」
姉の引き留める声を背に受けながら、彼女は後ろも振り返らずにその部屋を出た。ちょうどドアの前で飲み物とケーキを持ってきたウエイトレスと危うくぶつかりそうになったが、彼女はにっこり笑って内心の苛立ちを隠した。
「なんてこったい」
こんなことなら一日中仕事をしていた方がまだマシだった。
下りてくるエレベーターを待ちきれず階段を使って降りた梨果は、ずんずんと、それこそ床の大理石が割れそうな勢いでロビーを横切り、ホテル正面の回転ドアを出た。しかしそこで突然後ろから強引に腕を掴まれたのだ。
「きゃっ」
「ちょっと待て」
「えっ?」
驚いて何事かと振り返れば、そこにいたのは、先ほどの見合いの相手、園田一真だった。




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