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Chapter T

シンデレラは眠れない  16


急に決まった式だけに、全体として世間一般のカップルたちの挙げるものに比べてかなり大雑把な準備になったのは致し方ないことだろう。
教会内でのリハーサルと呼ぶにはあまりにも忙しない、本番直前の打ち合わせを終えた梨果は、動きづらいドレスにげんなりしながら一人で控室の椅子に腰を下ろして外を見ていた。
自分以外の参列者はすでに教会の方に入っている。とはいえ、式自体に出るのは姉妹だけなのだが。
こちらの親族のあまりにも少ない人数を酌んでくれた園田の両親が、式はこじんまりと家族だけでといってくれたお蔭で何とか格好がついた。というのも彼女の側で参列するのは妹の杏だけで、姉の柚季はここではスタッフとしてオルガン演奏に係うため、親族席には着けないからだ。
彼の側も両親、兄姉の一家だけが席に座ることになる。
入場の際は父親代わりに勤務先の社長の武原に一緒にバージンロードを歩いてもらおうと思っていた梨果だったが、彼が病気療養中のため参列できないことから、結局最初から一真と二人で並んで教会に入ることに決めた。
「本当にいのかなぁ、こんなので」
しかし、梨果は自分が純白のウエディングドレスを纏った今になっても、まだこれが現実のものという実感が湧かなかった。

結婚が紙切れ一枚のインスタントなら、式もお手軽なお仕着せか。

そんなことを考えている自分に気づき、自虐的な笑みを浮かべる。
すべてを簡略に、体裁だけ整えることは自らが望んだことであって、誰の責任でもない。根幹に愛情を持たない、形だけの結婚を受けたのが自分なら、姉の勧めがあったとはいえ、見世物になることを承知で上っ面だけの式をすることを決めたのも自分だ。
「ふぅ」と息を吐き出すと、梨果はドレスの上から生地を引っ張り、しっかりと締められた下着を少しだけ緩めた。
以前に試着した時にはなかった生地の貼りつきと、ビスチェで押さえつけられた胸の張りで息苦しささえ感じる。そんなに急にバストサイズが上がるはずはないのだが、とにかく今は胸のあたりが窮屈で仕方がなかった。
「一服……止めておくか」
梨果はポーチの口を開き、引き出しかけたシガーケースとライターをそのまま元に戻した。そういえばここのところあまりタバコが欲しいと思わなくなった。習慣のように二日にひと箱は必ず吸っていたのに、今手元にあるものは先週買ってからカバンに入れっぱなしで、そのまま口さえ切っていない。嗜好が変わったわけでもなかろうに、こんなことは今までなかったことだ。
ふと梨果の動きが止まる。
「まさか……ね」
前に誰かの話で、妊娠するとそれまで自分が吸っていたのも関わらず突然タバコの煙がだめになると聞いたことがあるが、それは自分には該当しないだろう。例の事件の後、アフターピルを服用した彼女は、軽いながらも生理があったこともちゃんと確認したのだから。
しかし……

「新婦様、お時間になりました。ご準備はいかがでしょうか」
介添えの女性に扉の向こうから声を掛けられ、物思いに耽っていた梨果は慌てて立ち上がった。
「今出ます」
側の籠の中に置いてあったブーケを持ち、鏡を覗き込んでおかしいところがないか確認した彼女は、懸念を振り払うように首を振ると一度大きく息を吐きだしてから扉の方へと歩いていったのだった。



教会の内扉の前で、先に来て待っていた一真と並ぶ。
平素でも体格の良い彼がびしっとしたスーツを着ると、男前二割増なのだが、フロックコートだといつも以上に長身が映えて、なかなかの見栄えだ。
手袋を持ち替えて差し出してきた腕に彼女が手を添えると、柚季が奏でるオルガンの音が流れてきた。
係の人の合図と共に左右に扉が開き、入場を促される。
祭壇の前まで、リハーサルではさほどの距離もないと感じたバージンロードがこの時ばかりは長く感じられる。この程度ことで緊張するようなタマではないと思っていた梨果だが、足が縺れそうになるほどガチガチに固まっている自分に苦笑いした。
その後滞りなく始まった式も讃美歌や聖書の朗読が終わり、いよいよ二人が愛を誓う場面に差し掛かる。
牧師の言葉をそのまま復唱し、口先だけの誓いの言葉を口にしながら、梨果は目の前のキリスト像に思わず「嘘ばっかりついてごめんなさい」と心の中で詫びた。
これからどれだけの時間を共に過ごせるのかも定かではない二人に、生涯なんて言葉は重すぎる。
隣に並ぶ一真は一体どんな風にそれを感じているのか。ちらりと伺った彼は前を見据えたままで表情一つ動かすことはなかった。

結婚が宣言され、式が終わると二人は一旦そのまま外に出て、それからそれぞれの控室に戻る。
参列した人数が少なかったことや、それが家族だけだったことなどもあり、通常なら教会の外で行うライスシャワーやブーケトスといったものは省いてもらった。だから手元にブーケが残っているが、これは披露宴の後に姉か妹にでもあげればよいのだろう。
今新婦の控室にいるのは姉と妹、そして自分の三人だけ。桐島側は招待客の人数が少ないこともあり、新婦の控室がそのまま参列者たちの待合室にもなっていた。
そんな部屋に控えめなノックの音が聞こえてくる。
「どうぞ」
迎えに出てドアを開けた妹の杏の向こうに姿を現したのは、梨果と同世代と思われる若い男性だった。
「悟」
自分を認めて立ち上がった梨果を見た彼は、室内に入ってくると彼女の側に近づいて来た。
「梨果、結婚おめでとう」
「ありがとう、悟。忙しい時に急にごめん」
「いや、こっちは大丈夫さ。それより馬子にも衣裳って本当だな。お前が女に見える」
「せっかく感謝したのに、相変わらず口が悪くて失礼なヤツね、あんたって」
笑いながら肩のあたりを殴ると、彼は顔を顰めながらも笑っていた。
彼とは既知の柚季と杏も、そんな二人のやり取りを見ながら思わず頬を緩める。
「何年ぶりかな、柚季さんお久ぶりです。それから杏ちゃんも、すっかり綺麗な大人の女性になって。最後に会ったのは、確か大学に入る前くらいじゃなかったか?」
「ちょっと、なんでそんなに姉妹と私の扱いが違うのよ」
披露宴会場に行く準備を始めた二人に聞こえないように小声になりながら、梨果が肘鉄を食らわせると、彼はにやりと笑った。
「彼女たちはレディだからな。戦友のお前とは自ずと対応が違ってくる」

戦友。
確かに彼と自分の関係は一時それに近いものがあった。
一時は男女の仲でもあったがいつしかそれを超えていた。複雑な繋がりのある二人の関係は確かに戦友と呼ぶに相応しかったのかもしれない。
「梨果、お前本当にこれでいいんだな」
「化粧室に寄るからお先に」と、こちらに一声かけて控室から出て行く姉妹たちの気配が消えてから、彼が梨果を覗き込んで念を押す。
「……ええ、多分」
自分の選択に後悔はない。だが、心の片隅にまだ迷いがあるも確かだ。
彼女にしては幾分歯切れの悪い答えに彼は訝しげな顔をしたが、それでも彼女を立ち上がらせると強く抱き締めた。
「梨果には幸せになって欲しい。もうこれ以上、お前の人生に苦難が待っているとは思いたくないんだ」
そう言って彼は梨果を離すと、指先で彼女の頬をそっと撫でた。
「いいか、梨果。好きな男には正直になれよ。お前、そういうの昔から苦手だからな」
「悟……」
「梨果?」
戸口から聞こえた低い声に振り返ると、そこには二人をじっと見ている一真の姿があった。
「彼が?」
「ええ、園田一真。私の夫よ。それから紹介するわ。こちらは曽田悟さん。私の学生時代の友人よ」
自分の名を呼ばれた彼が、一真と梨果を交互に見ながらにやりと挑戦的な笑みを浮かべた。
「曽田です」
「どうも、園田です」
男二人は形だけの素っ気ない挨拶と握手を交わすと、曽田はそのまま控室を出て行った。
「で、何かあったの?わざわざ控室まで来るなんて」
「……いや。ただ、ちょっと様子を見に来ただけだ」
一真は何か言いたげに彼女を見たが、それきり口を閉ざした。
控室を出た二人は、会場の入り口で並んで立ち止まる。予定では、次の合図で扉が開き新郎新婦が姿を現すと共に披露宴が始まる。
「梨果」
「何?」
「先に言っておくべきだったのかもしれないが……」
『それでは新郎新婦の入場です』
一真の言葉が終わらないうちに扉で閉ざされていた視界が開けて、強烈なスポットライトが二人に注がれる。そのため彼女は一瞬目が眩み、視界を奪われた。
彼が歩き出すのを感じた梨果は、考える間もなくそれに引きずられるようにして一初めの歩を踏み出した。だが、段々眩しさに目が慣れ、周囲が見えるようになった彼女は入口から数歩のところで足を止め、動かなくなった。
「梨果?」
幾ら介添え人に促されても、強張った顔をしたままの彼女は、その場から一歩も動こうとはしない。肘を後ろに引かれ、怪訝そうに立ち止まった一真を見上げる梨果の、刺すような視線が彼を射抜いていく。
「これは、どういうこと?」




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