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Chapter T

シンデレラは眠れない  10


時刻が遅かったことと、若干お酒を飲み過ぎて歩くのがしんどかったこともあり、さすがの梨果も帰りは自分の主義を曲げてタクシーを使った。
タクシー代はカードで、しかも一真が払ったので彼女自身の腹は全く痛まないのだが、それでも深夜割増で5000円を超える金額の料金メーターを見ると「ああ、もったいない」という吝嗇根性が顔を出す。
だが、方や今夜自分が彼に買ったマリッジリングは6万円ほど。軽くタクシー代の10倍を超えるが、それは必要なものだからお金が惜しいとは思わない。彼女の金銭感覚はどうしても必要なものと我慢すればお金を使わずに済むものをしっかり見分けることが基本となっている。
それは学生時代の苦しい生活の中で培われた彼女自らの基準に沿うもので、生活に多少のゆとりができた今も何だ変わることはない。必要なものには出し惜しみせず、不用なものは側に置かない。それがはっきりしているから彼女の行動にはブレがないのだ。
ただ、梨果の唯一の「自他ともに認める浪費」はタバコだ。
今時はひと箱400円以上もするのを「高い」と思いつつも吸うのを止められない。
自宅マンションに戻り、先に風呂を使わせてもらった彼女は、彼が出て来るまでの間に灰皿を持ってベランダに出た。
「はぁ、さすがにちょっと寒いわぁ」
彼女の住む低層のワンルームと違い、高層階にある彼の部屋は強いビル風が舞う。晴天の昼間はここから見える景色がきれいでぼんやりするにはちょうど良い感じなのだが、この時期になるとさすがに夜風が冷たくて風呂上がりの体が冷えてしまう。
それでも彼女は持って来たタバコに火を点けるとゆったりと紫煙を燻らせ始めた。
「ふぅ」
手すりに身体を預け、目を閉じれば、目まぐるしかった一日の出来事が次々と頭の中を駆け抜ける。
「週が明けたら会社の方にもちゃんと言わないといけないよなぁ」
社長の武原にはこのことをそれとなく伝えてはあるが、その経緯までは話していない。今まで「結婚なんてするつもりはない」と言い続けていた理由を知っているだけに、恐らく彼は、この急な方針転換についていろいろと訊ねてくるだろう。
「あとは、免許証や保険証、クレカなんかも変更手続きが必要か。銀行の名義はどうだっけ?」
彼女がしなければならないことはまだ山のようにある。だが今はそれを数え上げるよりももっと即物的に考えなければならない直近の問題があった。それは……
「今夜から彼と一緒に寝ることになるのよね」
一真が新たに購入したベッドはトールサイズのダブルベッドだ。幅もそこそこあり、端と端で別れて寝られない大きさではないが、あの肉食系がそれで大人しく引き下がるようには思えない。それに自室にある彼のくれたベッドを使うとなると、部屋に置かれた大量のダンボールが邪魔だし、存在感のあり過ぎるタンスが嫌でも目に入ってしまい、気分が良くない。
「うーん、悩む」
契約とはいえ、彼と結婚した以上避けては通れないものだと分かってはいる。特にもう一方の当事者である一真は最初からはっきりと「セックス込み」の結婚生活を要求しているし、彼女もそれに合意し、受け入れたのだから。
「妻のお勤め」と割り切ることもできなくはないが、それではあまりにも味気ない。それにそんな風に考えるのは何だか自分が身売りしたようで、侘し過ぎるではないか。
「はぁ、何か複雑」
「何がそんなに複雑なんだ?」
急に背後から声を掛けられた梨果は、驚きのあまり手すりの前から飛び退った。振り返ればいつの間にか一真が彼女のすぐ後ろに立っている。
「び、びっくりさせないでよ、もう」
「タバコならリビングで吸えばいいって言っただろう。このクソ寒い時間にこんなところに出て来るなよ」
背中からふわりと抱きしめられると、湯上りの彼の体はぽかぽかとしていて心地がよい。
「だって、家の中だと匂いが籠るわよ。換気扇の下で吸ってもそんなに変わらないし」
「お前の家でもあるんだから構わないだろう」
「でも……」
他人がタバコを吸うことには寛容な一真だが、彼本人はそれらを一切嗜まない。そのせいか、3年くらい前から借りているというこのマンションの壁紙や天井なども黄ばむことなくきれいなままだ。
「まぁ、タバコを止めるのが一番いいんだろうが、そんな気はないんだろう?」
梨果は黙ったままで頷いた。よほどのやむなき事情でもできない限り、これだけは無理だ。学生の頃から、喫煙は彼女にとって安定剤代わりでもあった。それは今でも同じで、これを止めたら精神のバランスを保っていける自信がない。
一真もそのあたりは何か理由があると察していた。それに自身も自分がカフェイン中毒だと自覚していて、食事や会議の後、商談が終わるととにかく一杯コーヒーが欲しくてたまらない彼にはその時の苛々がよく分かる。それもあって今はまだ、無下に禁煙を強要することはできないし、したくない。将来どうしてもそうせざるを得ない事態、例えば妊娠や病気にかかるという場面に直面したら、その時は彼も止めるように促すし、何より彼女自身が良識でそれを決断するだろう。
「体が冷えている。そろそろ中へ入った方がいい」
彼と寄り添うようにして室内に戻った梨果が、その温度差に思わずぶるりと体を震わせた。
「外はこんなに寒かったのね。もう一回お風呂で温まってこようかしら」
そう言って冷えた手を擦り合わせた彼女が一真の側から離れようとしたその時、突然彼の方に強く引き寄せられた。驚いた顔をして腕の中から見上げる梨果の首筋に顔を埋めた彼は耳元で囁いた。
「俺が温めてやるよ。中外両側からたっぷりと、な」



押し倒された背中がベッドに沈む。二人分の重みを掛けられたら本来ならここで体が弾むところなのだろうが、このクッションは跳ね上がらなかった。
「おお、さすが低反発。軋みもなし。いい買い物したな」
一真の言葉に梨果も思わず緊張を解いて笑った。
そんな彼女を上から覗き込んだ彼が、その唇に触れようかというところまできて、なぜか動きを止める。
「いいのか?」
「何が?」
「恋人としてのキスも、結婚式の誓いのキスもすっ飛ばして、最初のキスがセックスの前戯って、ちょっと拙くないか?」
確かにそれはそうだが、今さら言ったところでどうなるものでもない。
見合いからたったの一週間、恋人期間を経ることもなく一足飛びに夫婦になった二人には、そんな機会などなかったのだから。
「いいわよ。その代り人生最高の、飛びっ切りのをしてよ」
梨果の挑発に今度は一真が皮肉っぽい笑いを浮かべる。
「そんなにディープなのが好みか?」
「濃くなくてもいいから、キスもセックスも気持ちいいのが良いわね」
それを聞いた彼が、今度は低く声をたてて笑う。
「『気持ち良い』ねぇ……まぁ善処するよ」
そこでやっと彼の唇が梨果のそれに重なる。舌先で突かれて薄く唇を開けば、そこから彼の息が流れ込み、自分のものとは違う香りが鼻に抜ける。
それからしばらく唇の触れる角度を変えては舌を絡め合い、互いの呼吸と唾液を共有していた二人だが、梨果は不思議とそれに抵抗を感じることはなかった。
「苦いな」
顔を上げ、真っ先にそう零したのは一真の方だ。
「ごめん、多分タバコのせいだよね」
こんな時、普通ならセリフが反対なのにと梨果が苦笑いする。次回はちゃんとマウスウオッシュしておくからという彼女に、一真が首を振る。
「お前の香りまで全部消すことはないさ」

真新しいベッドの上で、彼に翻弄される梨果の背が幾度も大きく撓る。
湿った唇で固く尖った胸の先を緩く食まれ、その周りを舌先でなぞられればくすぐったさに身悶えし、足の間の潤みに太い指を差し入れられ、浅い場所を擦られると彼女の内側がそれを締め付ける。
体の中にどんどん溜まっていく熱に耐えられなくなって手を伸ばすと、彼は指を絡ませながらしっかりと握り返してくれた。
「ちょっと待ってろよ」
梨果の体が柔らかく解れたのを感じた一真は、枕の向こうに転がしていた小箱を掴んで素早く準備を済ませる。そして自分の下で浅く息をする彼女の膝を両手で大きく割り、何度か自身を擦りつけてからゆっくりと腰を落としていった。
「梨果」
名を呼ばれ、薄く目を開いた彼女は、そのまま彼に口づけを返す。
「分かるか?」
体の内側でひくつく彼の存在をはっきりと感じ取った梨果は、何度も頷いた。
そんな彼女の上で一真の体が上下するたびに、膣奥に衝撃が走り、強く内壁が擦りあげられる。その間にも彼の手は胸のふくらみを揉みしだき、頂を摘まんでは潰して彼女をなぶり続けた。
「も、ダメ。ふぅん、ああっ」
「もうイケよ」
腰を引く彼の動きを追って下肢を浮かせた梨果を見て、一真は彼女の限界を感じ、最奥を内臓ごと押し込みそうな勢いで深く強く穿った。
背中に回した手が汗で滑り、離れそうになるのを堪えようと立てた爪が幾筋も彼の肌に傷を残しているのにさえ気づかないほど、梨果は高みに追い上げられていく。
一真の方も中の動きが大きく強くなればなるほど、自身の質量が増し、それを飲みこむ彼女の体に強い刺激を与える。
そしてそれが訪れた瞬間、梨果は甲高い悲鳴を発して全身を戦慄かせながら彼を激しく扱き上げる。一気に脳内がスパークし、目の前が真っ白に染まると、彼女の思考はすべての動きを止めた。
「くぅ、うっ、くそっ」
梨果の内壁に加減なく引き絞られた彼は、それに耐えられず彼女の最奥で薄い膜越しに熱を吐き出す。全てを出し尽くし、空っぽになってもなお締め付けを止めない彼女の中からやっとの思いで自身を引き出すと、悪態をつきながら力尽きたように梨果の上に倒れ込んできた。
「悪い、もう少しこのまま待ってくれ。まだ動きたくない。いや、マジで動けん」
自分の下で押し潰されてもぞもぞしている梨果に、一真は気怠そうに呟く。
「いいけど、だったら胸を触るのを止めてくれない?」
動けないというわりには彼女の肌を撫でまくる手を軽く抓ると、彼はわざと大げさにため息をついた。
「酷えことするなぁ」
ボヤキながらのそりと起き上がった一真は自身の始末を済ませると、彼女にパジャマの上着だけを羽織らせてそのまま布団に引きずり込む。
「ちょっと、私もう一回お風呂に入りたいんだけど。体がベタベタだし」
「今は止めておけ。明日の朝、一緒にシャワーを浴びればいい」
彼はそう言うと彼女の体を抱え込んだまま眠ろうとする。
何度かそこから抜け出そうとするも、その度に彼の腕の中に引き戻された梨果は、ついにそれを諦めた。
「もう、分かったわよ。寝ればいいんでしょう?」
一真は薄目を開けて頷く。
「はいはい。お休みなさい」


それからしばらくして、彼の呼吸が大きく穏やかになったのを確認した梨果は、再びベッドから抜け出そうとして起き上がった。悲しいかな、いくら一真の隣りに横たわっていても、どのみちこのまま眠りは訪れないことは分かっている。
「眠れないのか?」
深く眠っていると思っていた一真に話しかけられて驚いた梨果は、ぴくりと肩を震わせた。
「ええ、ちょっと」
「体が冷えたかな。もう少しこっちに来いよ」
有無を言わさず三度抱き寄せられた梨果は、彼の懐でその温もりに包まれる。
「どうだ?」
「……うん、ありがとう」
そのまましばらくすると彼女の頭上から一真の規則正しい寝息が聞こえ始める。今度は本当に彼が寝入ったのを感じた梨果は、ふっとため息を漏らす。
眠れないのは寒いからではないのだけれど……
それでも今はただ、自分が一人ではないことを教えてくれる腕の重みと人肌の温かさが嬉しくて、彼女はそれを確かめるようにそっと彼の胸に顔を埋めたのだった。




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