Prologue 息が切れ足が縺れる。 それでも彼女は必死に走った。 逃げなければ。 できるだけ遠くへ逃げなければ…。 やっと敷地の境を示す高い塀が見えてきた。その先は白く靄に煙る深い森が広がっている。 あと少し、あとほんの少しで自由が手に入る。 そう思った途端、茂った草が足に絡まり彼女はその場に倒れこんだ。 「そんなことをしても無駄だと、あれほど言っているだろう」 すぐ後ろから聞こえてきたのはこの世で一番聞きたくない、男の声。 彼女は弾かれたように立ち上がると、後ろも見ずに走り出そうとする。 膝から血が流れていたが、痛みを感じる余裕すらなかった。 そこからほんの数歩走っただけで、乱暴な力で引き戻される。 「放して」 身を捩り、手を振り回して抵抗するが、身体を抱きとめる腕の力は緩まない。 「放してよ、この悪魔」 『悪魔』 と呼ばれた男が、ぞっとするほど冷たい笑みを浮かべた。 「どうやらまだお仕置きが足りないようだな。さあ、帰るぞ。お遊びはここまでだ」 軽々と肩に担ぎ上げられた身体は震えが止まらなかった。 死に物狂いで逃れようと暴れても藻掻いても、締め上げる腕が緩むことはない。 それでも彼女は庭を横切る間、ひたすら抵抗を試みた。 そして、その力さえ尽きた時、彼女は男の背中に向かって呟いた。 「あなたなんか、地獄へ堕ちればいい」 それを聞いた男は笑った。 こともあろうに、笑ったのだ。 そしてこう返した。 「墜ちる時は君も一緒だよ…紗耶」 HOME |