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 迷いの森 

 第三章   崩壊の時  2 



その翌週、圭市は別荘には行かなかった。
週の半ばに紗耶の生理が始まった、と房枝から連絡があったからだ。
彼女が妊娠していなかったことに少しほっとしたのは事実だが、反面、これからまた当分は、紗耶に無理強いしなければならないであろうことを考えると複雑な思いだった。

ならばいっそのこと、あの時身ごもっていてくれた方が、よかったのか?

圭市は、そんな捨て鉢な思いを自分で打ち消す。
もしもあの時に子供ができていたら、紗耶は一生その子を見るたびに彼の非道な行いを思い出すだろう。罪もない我が子にそんな卑屈な思いをさせたくはない。
だから、これでよかったのだ…多分。



一人で過ごす週末、彼は誰もいない結城邸である計画を練り始めていた。
それはクーデターと言ってもよいだろう。
今まで結城社長の片腕として働いてきたとは言え、ビジネスの世界では、圭市はまだ若輩者扱いだ。この道で四半世紀近くも名を馳せている宗一朗とは格が違いすぎる。
だが、彼には一つの強みがあった。
圭市自身が結城の傍系にあたるという利点だ。彼の曾祖母は先代当主の伯母にあたり、薄いながらも結城の血縁として周知されている。
父親の代までは、かなり広く親戚としての付き合いがあった結城の関係者も多かった。その点で同じ入り婿でも、まったくの部外者として結城に入って来た宗一朗とは、扱いが異なるのだ。

圭市は先ず、実父である里見の攻略にかかった。
父は学者肌で、その穏やかな性格が災いしてか、ビジネスマンとしてはあまり大成しなかった人だ。その分研究に没頭したことで、いくつかの技術的な特許を得て、それが今では彼の会社を潤している。
宗一朗とはビジネスパートナーとしての付き合いが長いが、その分、自分の造反が知れた時の動揺も大きいだろうと予測してのことだ。


「お前はそれでいいのか」
すべてを話し終えた時、里見は言葉少なに息子にそう問いかけた。
その言葉には、暗に失敗した時のビジネス的なリスクと、何よりも息子の嫁となった紗耶との関係を危惧するニュアンスが含まれている。
仮にも紗耶は宗一朗の娘なのだ。父親と夫の間で板ばさみになって、権力闘争の真っ只中に生餌として晒される可能性は否定できない。
「それでもやるしかない。私と紗耶と、そして将来生まれてくる子供のために」

「そうか…」
その言葉を聞いた里見は、息子の無謀とも思える企みに手を貸すことを決断した。何よりも家族を大事にしてきた彼にとって、圭市から聞かされた結城本家の有り様は、あまりにも歪に感じられたからだ。
「親族の根回しは、できるだけ私がやろう。お前は自分が携わる場所で動くといい。ただし、時間が必要だ。こちらの意図が洩れないように、慎重に一人ずつ説得していかなければならないからな」
「でも、もし私に手を貸して失敗した場合に、父さんの会社は…」
「どのみち将来は結城に…お前にくれてやるつもりのものだ。心配しなくても何とかなる」


人当たりの良い里見は、反宗一朗派である親族たちとも付き合いがある。圭市は、彼らを巻き込むことで、最終的にある程度、自分が優位に立てる目算があった。
しかしまだ、今の段階で軽はずみに動くことはできない。
会社を混乱させることなく権力の移譲を果たすためには、最低でも一年、もっとかかる可能性だってある。
その間は、現在のオーナーである宗一朗に正面切って楯突くことは不可能だ。

結局、今すぐに紗耶を救ってやることはできないのだな。

当面は、彼もキャスティングボートを握っている宗一朗の意のままに動かされることに、歯痒さを抑えられない。
それは即ち、紗耶の意思に反する行為を彼女に強いることに他ならないのだから。



次の週末、圭市は気が進まないままに、別荘へと向かった。その傍らには、処方された薬の袋が置かれていた。
中味は精神安定剤。
催眠作用と筋弛緩効果があり、副作用がほとんどないものを調剤させた。
これを房枝に頼んで飲み物に混ぜ込み、飲ませるつもりだ。
手口が悪辣で嫌だったが、素面だと激しく抵抗するであろう紗耶の身体への負担を考えると、他に方法を思いつかなかったのだ。

別荘に着くと案の定、前回と同じく紗耶は自室に籠もりっきりになっていた。
圭市が、密かに房枝に薬を託す。
「これは?」
「紗耶に気付かれないように、何かに混ぜて飲ませてくれ。心配しなくても、あまり強いものではない」
「でも、こんなものを…」
渡された袋の中身を知り、房枝も動揺しているようだった。
「多少意識が朦朧として、体に力が入らなくなるかもしれないが、後に残るものではない。本人も、だるくて眠りが深いと思うくらいだろう。おそらく今の紗耶には…その方が負担は軽くて済む」

「どうしても…仕方がないのですね」
房枝は彼の意図するところを汲んだのだろう、強張った表情で渋々ながらもそれを受け取った。
「こんな…こんなはずではなかったのです。お嬢様には、幸せな結婚をしていただきたかった。なのに…」
圭市は、肩を落とす房枝から目を背けた。
彼にとっても、事態はまったく思わぬ方向に向かっている。たどり着く結果が吉と出るか凶と出るかは、自分でもまだ分からないのだ。それにこんな形で紗耶を巻き込んでしまうことに、圭市は不安と苛立ちを感じざるを得なかった。



その後、房枝からの報告で紗耶が薬を飲んだことを確認した圭市は、自分用にあてがわれた部屋で、夜が更けるのを待った。

深夜、辺りが寝静まるのを待って、彼は紗耶の部屋へと足を運んだ。
鍵を開けて中へ入ると、すでに彼女は軽い寝息をたてなからぐっすりと眠っていて、人が入って来た気配すら気づいていないようだった。

紗耶の寝顔が湛える安らかな表情を見た圭市は、一瞬ベッドの側で自分の行動を躊躇した。

なぜ、このまま彼女を穏やかに過ごさせてやることができないのか。

できることならば、彼とてこんなことはしたくはない。
だが、今の自分にできることは限られていて、その一つが紗耶に苦痛を味わせることなく彼を受け入れるように、彼女を慣らしていくことだった。
彼女の方も、好きでもない相手に身体を弄られるのはさぞかし苦痛であろうし、最初の時のことを考えると、まだセックス自体に恐怖を感じるのかもしれない。
だから卑劣な行為と知った上で、薬まで使わせたのだ。
しかしながら意識のない相手に性行為を強いることに、彼の良心は呵責に苦しむ。

圭市は紗耶が眠るベッドに腰かけると、パジャマのボタンを外し、胸元を寛げてからそっと隣に滑りこむ。そして、彼女の髪を梳きながら耳元で一言だけ、こう呟いた。

―― 許してくれ…紗耶。




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