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 迷いの森 

 第二章   廻る運命の歯車  7 



「い、一体何を言っているの?」
目の前の圭市を睨みながらじりじりと後ろに下がったが、背中が壁を擦りもう後ろがないことを悟る。そこで彼に気付かれないようにさり気なく手を壁に這わせ、身体を横にずらしながらドアノブを探った。

その間にも圭市はゆっくりと二人の間を詰めてくる。彼が放つ威圧的な雰囲気と考えの読み取れない眼差しが彼女をパニックに陥れた。
男女間の駆け引きに疎い彼女には、それが男が女を自分のものにしようとする時の原始的とも言える気配であることには気づけない。ただ、彼の動きに怯え、逃れようと必死だった。

紗耶の肘が何か硬いものに触れた。
……あった。

彼女はそのまま後ろ手にノブを掴むとそっとハンドルを下げ、ドアが開いた瞬間に身を翻した。
「待ちなさい」
背中に彼の声が飛んだが、紗耶は後ろを振り返ることなく、一目散に玄関を目指した。
いつもはすぐにたどり着けるはずの玄関のドアが、今日は妙に遠くに感じる。
あと数歩というところで、背後から強く二の腕を掴まれた。
「まったく、君は…。落ち着いて話をすることもできないのか?」
ショックと動悸で声を発することもできない紗耶は、頭を振りながら、掴まれた手を振り解こうともがいた。

「そんなに私と一緒にいることが嫌なのか?」
ますます激しく抵抗する彼女の様子に、圭市は諦めを感じた。
できることならば、すべてを話して承服を取り付けてから始めたいと思っていたが、この調子ではとても彼女の同意が得られそうにない。これが現時点での紗耶と、自分たちの将来生まれてくるであろう子供たちを守る唯一の手段であることを彼女が理解できれば、もっと話は穏やかに進められるはずだったのだが、今はそれさえも難しく思えた。

気が進まないが、止む無し…か。

圭市は表情を険しく引き締めた。
「こんなことをするのは不本意だが、仕方がないな」
そう言うと、彼は乱暴に紗耶の身体を引き寄せ、抱え上げた。
「止めて。下ろして」
腕を振り回して暴れる彼女の手を巧みに避けながら、彼は階段を昇って一番最初に目についたドアを開けた。
そこは予備のベッドルームのようで、椅子やテーブルなどの家具が広い壁面に沿って積みあがっている。その真ん中にメイキングもされていない剥き出しのベッドが置かれているのを見つけた圭市は、それに歩み寄り、彼女を横たえた。
そして、跳ね起きようとする身体を両腕で押さえ込むと、今度は自分の体重で彼女をベッドに張り付けた。
「放してよ」
重石で自由を奪われた紗耶は、腕を突っ張り目の前の肩を押し戻そうとするが、力では到底敵わない。もがいた時にずり上がったのか、気がつけばチュニックは裾が捲れ上がり、ジーンズは膝まで引き下ろされていた。
「嫌っ、止めて」
濡れた唇がゆっくりと首筋から肩口へ伝って行くのを感じた紗耶は、身震いをした。
その慣れない感触に違和感を覚えるが、それを上回る恐怖が彼女を捕らえて離さない。突き放そうとした手も、彼の片手で簡単に頭の上に一つに纏めて押さえつけられてしまった。
紗耶は身体を捩って必死に抵抗したが、彼は強引にもう片方の手で彼女の脚の付け根を探り始める。婚礼用の、いつもよりも小さく嫋やかな下着はすぐにその役目を果たせなくなってしまい、いつの間にか彼女の肌から引き剥がされていた。
誰にも触れさせたことのない秘密の場所を、我が物顔で探る指の感触と、左右を行き来しながら胸の先を弄る唇と舌の湿り気。そして、時折吹きかけられる熱い吐息に朦朧とした彼女の意識は混濁し、何度も気が遠くなりかけた。
抗おうとする心に対して、身体は彼の愛撫を受け入れ、ゆっくりと潤いを含み始める。自分の身体に起こったその相反する反応に、わずかに残っていた羞恥心の欠片が「淫らだ」と彼女を責め立てる。

「止めて…お願い」
彼女の囁くような拒絶の言葉を無視して、圭市はベッドの端で体を浮かしてズボンと下着を脱ぎ捨てると、素早く半身を起こして、無意識に閉じようとする彼女の脚の間に自分の腰を割り込ませる。
そして指先で柔らかな入口を探ると、そのまま重ねた体をゆっくりと沈めていった。
「嫌、いっ、痛い。や、めてえっ」
ひき裂かれるような痛みに全身を強張らせ、喘ぎながら暴れる身体を押さえつけた圭市は、もっと奥深くに入り込もうと腰を煽るが、紗耶の凄まじい抵抗にそれ以上はどうしても先に進めない。

「少しだけ、我慢してくれ」
彼はそう言うと自分の位置を真上にずらし、紗耶の両脚を押さえつけると、泣き顔を見据えたまま一気に体重をかけて自らを強引に彼女の中に捩じ込んだ。
「嫌っぁぁぁ……」
絶叫にも似た悲鳴を上げると、突っ張っていた腕の力が抜け、紗耶の手がベッドの上に落ちた。
放心した表情で小刻みに身体を震わせ、その目からは次々と涙が溢れてきていたが、輝きを失った虚ろな瞳はもはや何も映してはいないようだ。
そんな紗耶の痛々しい様子を目の当たりにしながらも、圭市は彼女の腰を掴み、激しく体を打ち付けていた。
今の彼にできることは、少しでも早くこの状況から彼女を解放することだけだった。そのためだけに自らを追い上げた彼は、低い呻き声と共に彼女の中に精を放つと、脱力した体を彼女の隣に投げ出した。


目的には至ったものの、後味の悪いセックスだった。
今までも年相応に、それなりに女を抱いてきた圭市だったが、これほどまでに自分が極悪人に思えたことはない。年端のいかない少女の、成熟しきらない身体を蹂躙することが、こんなに心に疚しい疼きを覚えることだとは思いもよらなかった。

通常でも女性にとっての初体験は、精神的にも肉体的にも少なからず苦痛を齎すものだということは知っている。それが気持ちを伴わない暴力的なものならば、なおのこと受けた女性に後々残す傷も深くなるのだと聞いていた。
特に自らが望まない状況で、それを強要された時などには。

レイプ。

まさしく今自分がしたことが、ぴったりくる言葉のように思える。

これで私も紗耶の父親と同じ、卑劣な男の仲間入りだな。
圭市は、心の中で自虐的に自分を嘲笑った。
戸籍上は夫婦になったという大義名分あっての行為とは言えども、一皮剥けばこれは立派な犯罪ではないか。
だが、無垢な身体を征服した瞬間、言い知れぬ喜悦を感じたのもまた事実だ。自分は誰にも許されたことのない場所に分け入る権利を得た、ただ一人の男であることに満悦し、それを誇らしくさえ思った。
男のエゴだと分かってはいるが、それでもこれから先の彼女を守っていくのは自分しかいないのだという思いを強く抱いた。

彼女と引き合わされてから、ひと月あまり。
まだ互いに理解しあうまでには至らないが、それでも結婚という関係を以って、パートナーとして選ばれた二人だ。
今は確固たる確信はなくとも、長い人生を共に歩むうちに、自ずと家族としての情も深めていくことになるのだろう。
だからこそ、彼女を力ずくで奪ってしまったことに対する負い目は、夫としての責任と共に、一生持ち続けていかなければならない枷だと覚悟している。


傍らの紗耶は、身じろぎもせずに横たわっているが意識を失くしてはいないようだ。良く見ると、彼女は引き付けるような浅い呼吸を繰り返し、身体を震わせながら涙を流し続けていた。

「辛いのならば、声を出して泣いてしまえ。その方が楽になれる」
圭市はベッドから起き上がると、自分の着ていたシャツで紗耶を包んで抱き上げた。
最早彼女は抗わなかったが、唇を噛み締めたまま、呻き一つ発しない。ただ静かに涙を流しているだけだった。

せめて怒りに任せてでも彼を責めてくれれば、もっと対処のしようもあろうが、今の紗耶は自分の殻に閉じ篭ったまま、悲嘆に暮れているだけだ。
その悲痛な表情を見ながら圭市は、自らの手に染めた罪の重さを噛み締めていた。




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