結局佳奈に押し切られる形で、聖子は旅行に参加することにした。 計画されたのは二泊三日のツアーで、一日目は移動と温泉街の近場の観光、二日目はバスを使っての観光スポット巡り、トレッキング、ホテルでのんびりする者など各自希望ごとに別行動、そして最終日は帰京という日程になっていた。 一日目、天気が思わしくなく、早めに観光を切り上げた一行は午後3時すぎにはホテルにチェックインを済ませていた。 夕食は6時。 それまでは自由行動となり、各々が好きなように過ごす時間となった。 「うーん、思っていたよりもいい宿かも。新しくてきれいだし」 各自、割り当てられた部屋に入ると、佳奈は早速ベッドに倒れこんだ。 宿泊先は温泉旅館と聞いていたが、泊まるのはその別棟である新館の近代的なホテルだった。彼女たちに割り振られたのはツインルームで、室内にユニットの風呂とトイレも完備されていたが、本館の大浴場には天然温泉のほか、露天風呂や打たせ湯、サウナやジャグジーもあるらしく、女性社員たちは食事が終わってから皆でそちらを使おうという話になっている。 「まだ夕飯まで時間があるね。せっかくだからホテルの近くを散策してみない?」 着く早々に持ち込んだ荷物を片付けている聖子を佳奈が誘う。二人が同室になったのは、聖子が他の社員に遠慮しなくても済むようにと、佳奈が幹事の森に頼み込んだからだが、聖子もその方がありがたかったので喜んでそれに従った。 「この近くに何かありそう?」 バスの車窓から見た限りでは、周囲は取り立てて見物するようなものはなく、旅館が数軒と土産物屋が軒を連ねているくらいしか分からなかった。確かに事前に渡されたパンフレットの謳い文句に違わず、自然豊かで静かな温泉街であることは間違いなかった。 「ほら、ここ。このホテルの隣に何かあるみたいだよ」 佳奈は部屋に備え付けられていた観光パンフレットを指し示した。 「このホテルの宿泊客は無料だって書いてある。ねぇ、ここに行ってみない?」 二人が着いた先は、ホテルの敷地内にある、武家屋敷のような建物を改造した資料館だった。まるで城でも建っていたかのように古く頑丈な石垣の上に建つ屋敷はかなり横に広く、奥行きもあるようで、入口からでは奥まで見通すことができないほどだ。 「閉館は午後4時半ですので、それまでは館内をご自由にご覧下さい」 入口でリーフレットを渡され、スリッパに履き替える。 受付の女性に礼を言い中に入ると、まず正面に時代ごとのブロックに区切られた大きな見取り図と、資料館全体の由来が記されてあった。 それによると、ここは昔から西に向かう街道の要所であり、峠越えの難所として有名で、代々数百年にわたり瀧澤という一族が一帯を治めてきたという。 資料館はその瀧澤家に伝わる由緒ある品々を管理、保存することを目的として私財を投じて建てられたものらしく、私的な博物館ともいえそうだ。 「なーんだ。もっと今流行の武将モノでもあるかと思って期待したのに、何だかちょっと違うね」 それぞれの展示品についている説明板を見ながら、二人は時代を遡っていく。 「それだけではないのは確かね。もっと古いものもあるみたいだけど、このあたりのものでも軽く500年は経っているみたい。これは、何だろう…祭具?」 神社に祭られていてもおかしくないような古の遺物の数々を、聖子は一つずつ足を止めながらゆっくりと見ていた。 「うわっ、見て。これ何だかすごいよ」 先を行く佳奈がある展示物の前で彼女を呼んだ。 彼女が示す先にあったのは、やっと掌に乗るくらいの大きさの水晶の珠だった。 傷一つない水晶珠は、ライトの光に浮き上がり、白とも紫とも見える美しい光沢を放っている。聖子はそれに引き寄せられるように、珠が飾られたケースに歩み寄った。 「うーん、なになに、当地には、瀧澤家が入る以前、ここに住んでいた「風守」の民と呼ばれる土着の氏族がいた。 この一族は、村を統べる長が選んだ巫女の加持祈祷によって治められていたが、瀧澤家がこの地に入った際、当家に恭順を示す証として巫女姫の祭具であったこの水晶を当主である、喬久に献上した…か」 佳奈は説明書きをよみながら、ふーんと頷いている。 「違う…」 「えっ、何が?」 「違うわ。これ、本物じゃない」 「だって、これにはそう書いてあるけど」 突然おかしなことをいい始めた聖子の様子を見た佳奈が、怪訝そうな顔をする。 「でも、違うのよ」 「何でそんなことが分かるの?」 「それはよく分からないけど、何となく…」 尻窄みになりながらも主張を繰り返す友人に、佳奈が困惑しているのが分かる。 「よくお分かりになりましたな」 そんなやり取りをしていた二人の後ろから、突然声がかかった。 「それは見世物用に作られた偽者じゃ。本物は瀧澤家の家宝、おいそれと簡単には家の外には出せん。これも紛い物とは言え、良く出来てはおるがのう」 驚いた二人が振り向くと、そこにはいつの間にか一人の老女が立っていた。静まり返った館内には彼女たち以外観覧者はいないと思っていたが、どうやら他にも人がいたようだ。 「巫女の珠玉は瀧澤の主以外誰も見ることはできぬのじゃ。百歳を生き永らえてきたこの婆でさえ、本物を見たことはない」 「あなたは?」 「儂か?儂は…」 「吹野のお婆さま、またこんなところでお客さんをつかまえて」 受付にいた女性が慌ててこちらに向かって来る。 「すみません、お客様。このお婆さんはサダさんと言って、この地に伝わる古い伝承の語り部なんですよ。時々ここで観光客を集めて、昔から伝わる物語を語り聞かせたりしているのですが、つい時間があるとだれかれ構わず引き止めてしまって」 しきりに恐縮する女性の横で、老女はしたり顔でにやりと笑う。 「じゃが、観光に一役買っているであろうが。主殿もそう言っておったぞ」 「和久様はお婆さまに甘いですから」 「当たり前じゃ。儂はあの主どころか、主の父親やそのまた父親までも、生まれた時から見てきておるのじゃからな」 「はいはい。ですが、あんまりこんなことばかりしていると、若い人たちに煙たがられますよ」 「あの…」 しばらくそのやり取りを聞いていた聖子たちだったが、気がつけばとうに閉館の時間は過ぎていた。まだ食事までには間があったが、一度部屋に戻ってみやげ物や荷物の整理もしたいところだ。 「そろそろホテルに戻ります。すみません、お話、ありがとうございました」 先に出口に向かった佳奈に続いて二人に会釈をして踵を返そうとした聖子を老女が呼び止めた。 「そっちの娘さん」 「え?私…ですか?」 「そうじゃ、あんたじゃ。ようここに戻っておいでになった。山の神様もさぞお喜びになろう」 「あ、でも私ここに来たのは初めてで…」 「ほら、お婆さま、また訳の分からないことを言って。すみませんね、お客様。サダさん、年のせいか時々おかしなことを言うので、気を悪くなさらないでくださいね」 「いえ、そんな…」 困惑した顔をしながらも、聖子は首を振った。 「聖子まだ?もう行くよ」 先を行く佳奈の声が出口の方から聞こえた。 「待って、すぐに行く。あの、それでは、失礼します」 二人にぺこりと頭を下げた聖子が足早に出口に向かって姿を消す。最後にパタンという戸が閉まる音がして、館内は再び静寂に包まれた。 「お婆さま、いけませんよ、あんまりお客さんを惑わすようなことを言っては」 受付の女性は呆れた顔でそう言い残すと、閉館の準備をするために表に戻っていった。 彼女が履くスリッパの足音が遠ざかるのを聞きながら、老女は目の前のケースに置かれた水晶に目を遣る。そして誰に話しかけるともなく、ぽつりとこう呟いた。 「儂はまだまだ呆けてはおらんよ。棺桶に片足を突っ込んでいることは確かじゃがな。 しかし、儂の命があるうちに、巫女姫のお戻りを見ることができるとは。長生きはするものじゃな」 老女は、心配とも安堵ともつかない息を吐き出すと、無意識に光を弾くガラスのケースに寄りかかった。 「じゃが、それを知った主殿がどんな手に打って出るかは儂にも分からぬ。それを見届けるまでは、あの世へのお迎えは…暫し遠慮するしかあるまいのう」 HOME |